3つめの理由として“混ざり方”が違うことが挙げられる。例えば米国だと経済レベルによって利用する店が違う。スーパーマーケットとかレストランにも “格”のちがう数種類がある。一方の日本では、ワーキングプアレベルの人と年収1000万円以上の人が同じコンビニに行き、その奥さんたちも同じスーパーで夕食の買い物をする。そして、どちらの子どもも同じファストフード店に行く。
米国に留学している時は貧乏学生だったちきりんだが、その街のあるエリアにあるファストフード店にはほとんど行く気になれなかった。味の好き嫌いの問題ではなく、雰囲気や客層、周囲の街の様子からして、「私たちが行くべきところではありません」的な臭いがプンプンしていたからだ。利用する店、生活エリア自体が、収入層によって分離してしまっていると強く感じた。
バスも同じ。大都会の目抜き通りは例外だが、米国には「バスに乗るのは“下流です”と宣言するのと同じ」と言えるような街がある。そういうエリアでは、一定収入以上の家では、親が子どもを一切バスに乗らせずに育てていて、子どもも「バスに乗る人たちは自分とは違う人たちなんだ」と理解してしまっている。
これは、日本でも格差がもう少し広がり、かつ貧困層が一定以上の規模になれば、同じことが起こると思う。まずは「貧乏っぽい人を避けたい」と考える人たちが集まる店やエリアができあがる。値段も高めに設定した店だ。一方で「貧困層が気兼ねなく、人の目を気にせず気楽に入れる店」(もちろん価格も安い)が分離する。スーパーやレストランなどに関しても今後は“使う店の分離”が進むのではないだろうか。
最後に、親子の関係も日本の格差を見えにくくしている理由だと思う。
欧米だと親が成人した子どもを養わないので、若年層が失業するとホームレスになる。日本でも親が助けてくれない若者で、ネットカフェで寝泊まりし、半ホームレスになったりする例もある。しかし、日本では親が同居させてくれる場合が多いので、その場合若者の貧困層が街で顕在化しない。
彼らは親の家に住んでいるので、少なくとも飢え死にはしないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にもならない。「見えない貧困者」として隠れてしまう。このように「余裕のある親が貧困の子どもを抱え込んでいる」というのも、日本の格差を見えにくくしている理由の1つだろう。
というわけでいくつかの理由により、日本はとても格差が見えにくい。だから「格差がまだそれほどひどくない」と考えるのは少し違うかもしれない。しかし、もしも日本で格差が「見えやすくなったら」、その時は“あっと驚くレベル”になっているかもしれない。
そう思うと、ちょっと怖い。
そんじゃーね。
関西出身。バブル最盛期に金融機関で働く。その後、米国の大学院への留学を経て現在は外資系企業に勤務。崩壊前のソビエト連邦などを含め、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。
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