本場スイスで初めてヨーデルCDを発売した日本人歌手――北川桜さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(4/7 ページ)

» 2009年11月28日 15時30分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

人生を変えたドイツヨーデルとの出会い〜毎年必ずヨーロッパへ留学

ビアホールではドイツヨーデルを歌うだけでなく、カウベルなどさまざまな楽器を演奏したり、乾杯の歌を歌ったりしながら場を盛り上げる

 「22歳の頃から、私は、お盆もお正月も関係なく、1カ月平均25〜28日、小学校公演や新宿のビアホール(東京ホフブロイハウス)などを中心に歌っていました。当時は、ミュンヘンあたりのビアソングを歌っていたんです。そんなある日、ドイツヨーデルの歌手が来日してお店で歌うのを見たのですが、お客様と一体となって盛り上がる様子に感動して、私もぜひやりたいと思ったんですよ」

 可愛らしいアルプスの民族衣装を身にまとって歌うヨーデル歌手――その姿は、北川さんが子供の頃に夢中になった「草原+少女」の世界そのものだったことだろう。大人になるに従って離れていたその世界と、こういう形で再会した驚きと喜びは想像に難くない。

 「これしかない! 日本でお客様と一緒に楽しめるツールとして考えるなら、スイスやオーストリアよりも、華やかなドイツヨーデルがいい。自分ならばできる!」

 彼女はそう確信した。そこには、単なる趣味や憧れではない、市場ニーズの的確な「読み」と、自分の「適性」に対する冷静な判断力があった。

 大使館ルートを通じるなど奔走の結果、ついに彼女は、ヨーロッパ留学を実現する。日本での仕事もあるので、1回あたりの滞在期間は限られるため、年に何度も現地に赴き、数人の師匠の指導を受けた。1992年、スイスヨーデルのマリー・テレーズ・フォングンテン氏と出会い(1993年から現在まで師事)、その後インゲ・ワルター、オットー・ビアサック・マリア・ヘルヴィッツ各氏に師事した。語学については、大学の第1外国語がドイツ語だったが会話を練習するため、ハイデルベルク・ドイツ語学院に通って、練習した。

 筆者が疑問に思ったのは、オペラ歌手としての発声法と、ヨーデル歌手としての発声法はちゃんと両立するのか? ということだ。両者はまったく異なる。ヨーデルがオペラ・アリア風になったりしないのだろうか。

 「それはないです(苦笑)。ちゃんと両立できます。例えば、クラシック音楽におけるベルカント唱法などは、美しい音を滑らかにつなげてゆく連続性に特徴がありますが、それに対して、ヨーデルの唱法は、音がひっくり返ることを強調する非連続性に特徴があるといえます。その両者の差は、音に対する価値観の差ということなんですよ」

アルプスの音楽隊「ヨーデル北川桜とエーデルワイスムジカンテン」を結成

 1994年、北川さんはアルプスの音楽隊「ヨーデル北川桜とエーデルワイスムジカンテン」を日本で結成する。コンサートホールでの公演や各種イベントに出演したほか、「ポンキッキーズ」などの子供番組にもたびたび出演して人気を博した。その活躍ぶりは、当時の朝の人気番組「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)や、NHK海外放送(ドイツ語版)、あるいはドイツ国営放送(ZDF)にも、繰り返し取り上げられたという。

 その間も、留学前からのビアホールへの出演を、併行して続けていた。「新宿のビアホール『東京ホフブロイハウス』のお仕事は12年間続けさせていただきましたし、神田のビアレストラン『フェスト』では、バンドマスターを3年半務めました。また、恵比寿ガーデンプレイスの『フェストブロイ』では、ヨーデル北川桜とエーデルワイスムジカンテンを率いて、月・水・金のレギュラーを4年半(1996〜2000年)務めました」

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