本場スイスで初めてヨーデルCDを発売した日本人歌手――北川桜さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(5/7 ページ)

» 2009年11月28日 15時30分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

ヨーデルに専念するために――選択と集中

 これらの活動状況を見れば一目瞭然だが、1992年以降の北川さんのヨーデル歌手としての仕事ぶりは、「凄まじい」の一語に尽きる。

 「そうですね。1日平均4ステージをこなし、年間平均250日以上働き、そこで得た収入はほぼ全部、毎年数回のヨーロッパ留学のために使いました。多いときは8カ月間、毎日本番でした」

 普通ならば、1回留学に行けばそれで満足するところだ。しかし北川さんは違う。自分の音楽がマンネリ化・陳腐化するのを嫌い、お客さんたちに「いつ見ても新鮮な感動がある」と喜んでもらいたいのだ。だから一流になった今も、身銭を切って、毎年毎年ヨーロッパ留学を続けている。

 彼女は、ヨーデルとオペラ以外のあらゆる要素を必要最小限まで切り詰めた人生を自らに課してきたと言っていい。だからこそ、前編で述べたように、女性として一番オシャレをしたいであろう20代のころも、舞台衣装以外の服はほとんど持っておらず、フリーマーケットで数十円で買った穴のあいたようなTシャツやジーンズを着ていたのである。

 戦略思考に不可欠なのが「選択と集中」である。企業経営においては資源の最適配分を考えるという点で普通に行われることだが、個人の人生戦略として考えた場合、選択と集中が実現できる人は果たしてどれくらいいるだろうか。

 自分の人生の方向性として特定の分野を選択し、そこに自己の資源(時間・労力・お金・人脈など)のほとんど全てを集中投下するということは、言い換えれば、その分野以外のあらゆる可能性を公私を問わず捨てる覚悟をするということに他ならない。しかも、それを生涯続けるのである。

 そこまでの「勇気」を持てる人は、どれだけいるのだろうか? 正直言って、筆者には、それだけの勇気はない。おそらく、そこが、北川さんを日本のヨーデル第一人者へと押し上げた決定的な要因だろう。

ヨーデルの本場スイスで「一級」を取得

 2008年、北川さんは、3年に1度開催されるスイスの「スイス連邦ヨーデルフェスト」に参加した。参加者数は実に36万人、ヨーデル・アルプホルン・旗振りの演者数は1万2000人という、まさに国を挙げてのお祭りである。

 伝統と栄誉あるこの祭典で、北川さんは、ヨーデル歌手としての最高ランク「1級」の称号を獲得した。

 「スイス人には1級取得者はそれなりの数いますが、日本人など外国人の場合は取得が難しく、とりわけプロとして活動している人はムリと言われていたので諦めていたのですが……」と話す。ドイツやオーストリアでは日本同様、ヨーデルはほとんどプロが演奏するものであるが、スイスでは、ヨーデルはアマチュアリズムのものとされている。それゆえにヨーデルを職業にしている人は、そもそもスイス連邦ヨーデル連盟には入れないのだ。しかし、北川さんのヨーデルに寄せる愛情の深さと、それを裏付ける彼女の抜きん出た実力が現地の人々の共感を呼んで、参加を認められたとも聞く。

スイスの新聞に紹介された北川さん。記事はこちら

 これがきっかけになって、彼女は、スイスでトップとされるゴイエンゼー・ヨーデルコーラスの2008年定期演奏会に招待されゲスト出演した。チケットは完売。ヨーデルはもとよりカウベルなどの楽器演奏を披露し、大好評を博したのである。スイスの新聞には、「文句のつけようのない構築力と表現力による感動的な歌唱」など絶賛の言葉が踊った。

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