もはや映画宣伝に“王道”はない――『東のエデン』に学ぶ、単館上映ビジネス(後編)(5/6 ページ)

» 2010年04月09日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

小規模展開のマーケティング方法

数土 2010年に99館以下で展開する予定の劇場アニメの一覧を見ると、非常に数が多いのですが、『空の境界』や『東のエデン』で成功したような手法は今後も有効なのでしょうか?

会場資料

石井 今、押井守監督と神山健治監督の次回作の準備に入っているのですが、同じことはやらないと思います。同じことをやった後の失敗より、新しいことをやった後の失敗の方が、私たちとしては納得がいきますので。もちろん、できれば成功してほしいのですが。

 『新世紀エヴァンゲリオン』『涼宮ハルヒの憂鬱』『マクロスF』などテレビシリーズから劇場版になった映画では、テレビシリーズが終わった後、お客さんに作品の存在を忘れてもらわないように、かなり地道な不断の努力をされているんですね。その結果がもたらした成功だと思いますので、どなたかの成功に後乗りした企画でうまくいくことはなかなか難しいのではないかと思います。

数土 斎藤さんは小規模展開のビジネスがいいとおっしゃっていましたが、これだけ数が増えた現状を見て、これからはどうなるとお考えでしょうか?

斉藤 シネコンのスクリーンの奪い合いはずっとやっていますよね。メジャー系の作品は1スクリーンでも多くほしいので、アバターのように830スクリーンをとるようなものに巻き込まれてしまうと、小規模での展開もやりにくくなります。

 時期的なところを見てみると、1月23日に『Fate/stay night Unlimited Blade Works』『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』『10th アニバーサリー 劇場版 遊☆戯☆王 〜超融合!時空を越えた絆〜』という小規模展開の劇場アニメが3本公開されました。よく“2・8”と言いますが、1月の終わりから2月、6月、8月の終わりというのは映画館でも上映スケジュールが結構空く時期なので、そこにぶつけてるんですね。

 『時をかける少女』を公開する時の話なのですが、角川映画の営業部は「作品の内容からして、夏に公開するしかないだろう」と考えていたのですが、夏だとスクリーンはほとんどとれません。秋になったら100スクリーンで全国公開できる可能性がある。そこで秋に公開することになりそうだったのですが、角川映画の営業常務が「これは夏に見なきゃ意味がないよ」ということで大激論の末、社長を打ち負かして夏(7月15日)公開にしたということがあります。そういうこともあるので、小規模公開では作品の内容に、興行の形が追従できる良さがありますよね。

『時をかける少女』公式Webサイト

数土 小規模ではないのですが、『新世紀エヴァンゲリオン』や『時をかける少女』の時のような熱狂のようなものを意図的に作り出すのは可能なのでしょうか?

斉藤 これは難しいというか、かなり不可能に近いんじゃないかと思います。こうした小規模展開の作品がうまくいった例が続いたというのは、ぶっちゃけた話、偶然という要素が大きいですね。

 今後のことですが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は83スクリーンで公開して興行収入20億円という実績があったので、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は120スクリーンで公開できて興行収入は40億円。こういう実績があるので、エヴァンゲリオンに関しては続編も同じくらいのスケールで展開できると思います。

 しかし、ほかの小規模展開の劇場アニメは厳しいかもしれない。映画館にとって一番おいしい収入というのは、先ほども触れた関連商品なんですね。「『空の境界』を上映した時、関連商品売り上げは興行収入対比で何%でしたか?」とテアトル新宿の人に聞いたら、100〜200%、つまり入場料金と最低でも同額の買い物をしてくれているということでした。関連商品をずらっと並べておいたら、パッパッパと全部とっていって「はい、これでいくらですか」みたいな買い方をしていて、人によってはそれをもう1周やる。

 そういうメリットがあると映画館側もそれを求めるようになるので、「小規模で展開したいのですが、上映していただけませんか。関連商品はありませんが」と言ったら、「ちょっと受けられません」というケースがこれからは出てくるんじゃないですかね。興行の人は特にみなさん貪欲ですから。

 『スカイ・クロラ』の配給をやったワーナー・ブラザーズと、『東のエデン』の配給をやったアスミック・エースのマーケティングのやり方が違うように、制作側が配給会社を選んで、「この作品はこういうやり方をしてくれ」というような話し合いが行われるようになると思います。小規模展開の作品がこれだけいろんな実績が出てくると、それを判断するデータも表に出てくるので、配給会社にとってはいいことだと思います。

 ワーナー・ブラザーズは『サマーウォーズ』を2009年8月1日に公開したのですが、渋谷の上映館はないんですね。同じ日に公開した『そんな彼なら捨てちゃえば?』という作品を優先したのです。ワーナー・ブラザーズはいろんなデータを持っていて、『サマーウォーズ』は若いお客さんはいっぱい入ったのですが、「渋谷はクールアニメが弱い」と判断して、必要ないと判断したんだと思います。

 また、それと同じ時期にワーナー・ブラザーズは『ハリー・ポッターと謎のプリンス』も配給したのですが、ハリー・ポッターシリーズで初めて、歌舞伎町で上映館がなかった。それもやっぱり、いろんなデータをもとに判断したんだと思います。配給会社というのは営業部をつつけばいろんなデータがあるので、それをもとにプロデューサーが興行を仕切るというのが一番いい形ではないかなと思います。

数土 氷川さんは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』などの映画興行の盛り上げ方などについて、どうお考えですか?

氷川 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の場合はかなり特殊なケースで、「情報を隠蔽することで、情報の価値を上げる」というような、エヴァンゲリオン自身が次に真似をしてもたぶんダメなくらいのレアケースだったのですが、ただ、盛り上げる方法があるのは確かですよね。

 一番大事なことは、知りたがっているお客さんに知らせることは善ではないんですね、知らないことも価値になる、みたいな。直前まで「もしかしたらこんなこともあるかもしれない」と妄想することもお客さんの権利なんですよね。その妄想を喚起させるために、予告編を作ったり、ポスターにキーワードを並べたりする。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の場合は、庵野秀明監督が直接取り仕切って、予告編のシーンを調整したり、キーワードを選んでいたりするのですが、それがすごく絶妙だったのは確かですよね。

 神山監督も『神山健治の映画は撮ったことがない』という著書で、「映画にとって何が大事かというと、お客さんが『?』と思うものを振っておいて、それを適切なタイミングで『!』に変えるというのを、押し付けではなく、お客さんに見つけてもらうようにすることだ」と語っていて、それは宣伝でも同じことが言えるんですよね。

 お客さんの妄想を触発し、それに対しての気付きが快楽になる、ということに向けて努力する価値があるということです。特にアニメの場合、努力をする価値がある部分は大きいですよね。アニメはペラペラのセル画で構成されているので、お客さんが思い入れをしようと思えば、いくらでも思い入れできる分だけ、『?』と『!』の落差が実写よりたぶん大きいですよね。そこに制作者側のやりがいもあるのではないかと感じました。

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