コラム
» 2010年07月15日 08時00分 公開

“前打ち記事”は必要なのか 独りよがりのスクープ相場英雄の時事日想(2/3 ページ)

[相場英雄,Business Media 誠]

 この間、取材する側の経済記者たちは、定期的に開催される会見、あるいは非公式な懇談の場で会議がどのような方向で進むかを取材成果とともに占いつつ、原稿を書いていくことになる。

 筆者の経験に照らすと、取材していて一番面白いのは、議論が白熱する各国の課長レベル、あるいは高級事務レベルの折衝だ。自国の思惑を強硬に主張、あるいは他国をけん制するため、または自国のトップに恥をかかせないために、電話会議や秘密裏の会合が開催され、かんかんがくがくの議論が交わされるためだ。

 筆者は非公式な形でなんども彼らの電話会議や実地の会合に接する機会を得たが、英語の放送禁止ワードが激しく飛び交い、机を拳で乱打する会合が頻繁にあったことを鮮明に記憶している。

 こうした一連の議論や妥協の産物が、G7の共同声明という形で着地するのだ。冒頭に記した「議題の全容判明」的な記事は、大臣や総裁たちが主催国に入る直前、あるいは会議開催の直前にリリースされるケースが多く、この「全容判明」のために、数カ月の間、経済部の担当記者は汗をかいていると言っても過言ではないのだ。

“紙依存症”からの脱却を

 読者からのご要望のほかに、筆者がなぜ今回このテーマを取り上げたかといえば、最後の“共同声明の全容判明”にばかり注目し、その過程である放送禁止ワードが飛び交うような議論がほとんど取り上げられていない、との不満があるからだ。

 これまで触れてきた「共同声明」についても、会議直前に主要な部局や担当者を夜回りするのみで、共同声明原案の“紙”を入手することのみが取材であるかのような記事が多いと感じるからに他ならない(関連記事)

 当コラムでも触れたが、“紙”を持っている財務省などの関係者は、記者を手なずけるのが巧みだ(関連記事)。マスコミが“全容判明”のネタを血眼で追っていることを熟知しているのだ。換言すれば、当局者にとって“都合の良い解釈”しか載っていない“紙”を渡され、これをそのまま報道してしまうリスクが格段に高くなっていることを筆者は強く危惧しているのだ。

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