インタビュー
» 2010年07月30日 08時00分 公開

「朝日、オリコン、裁判所」ともあろうものが。35.8歳の時間・烏賀陽弘道(5/7 ページ)

[土肥義則,Business Media 誠]

アエラという氷山が分離した

 新聞記者の時代とは違って、アエラ在籍中は「自分がやりたいこと(ほぼイコール記号)仕事」という関係になっていました。もちろん「なんでオレがこんな取材をせにゃあかんのじゃ」という記事も必死で取材しましたよ。「相撲協会の内紛」とかね(笑)。会社からサラリーをもらっているんだからそれは当然。とはいえ「自分が選ぶ仕事」>「会社がボクにやらせる仕事」だったから、サラリーマンとしては幸せでした。

 ただ30代後半になって、これ以上は前に進めないという壁に突き当たりました。それは「取材記者からデスクワークの管理職にならなければいけない」ということ。現場の記者になりたくてこの仕事を選んだのに、管理職になると1日中会社に座って他人の原稿をチェックしたり、勤務時間の計算をしなければいけない。やっと自分のやりたい仕事ができるスキルが身に付いたと思ったのに「ええっ、もう管理職?」「もう一丁上がり?」ですよ。

 またアエラの編集方針もずいぶん変わりました。雑誌は生き物なので、編集部にいる記者や編集者によって自然にカラーができるものです。が、悪くするとそれが固まってしまう。アエラでは「働く30歳代女性」を掲載したら、それがやたらと売れた。売れるとまたやりたくなる。で、似たようなテーマばかり反復する。最初は「東京23区でもっとも子育てにやさしいのはどこか」とか、ちゃんと取材していました。しかし「収納カリスマ主婦に聞くウルトラ収納術」みたいな“まんま主婦雑誌やんけ記事”が増えてきた(笑)。雑誌のページは一定ですから、女性向けの記事が増えれば他は圧迫される。ネタが通らなくなる。自分が取材した記事が掲載されない。もう1999年ごろの話ですけどね。南極にいるボクはそのままだけど、アエラという氷山が分離して、どんどん遠くなっていくような感じでしたね(笑)。

40歳で、朝日新聞を退職

 アエラ編集部には28歳から38歳までの10年間いました。そこを出るとき、もう新聞記者に戻るという気持ちはなかったですね。週刊誌記者として充実した取材を10年続けて、いかに新聞が無味乾燥でオリジナリティがないということが分かったから。記者クラブはもちろん関係があるのですが、それ以上に「ボクでなければ書けない」ネタを載せる仕組みが社内にない。そんな時間は与えられないし、上司も評価しない。明日になれば発表される警察の特ダネだったら、ボクより上手な人はたくさんいる。そんな世界に戻るのは自分の人生にとってロスだと思っていました。

 アエラ編集部を離れ、次は『ぱそ』という初心者向けのPC雑誌で、編集者の仕事に携わることになりました。会社の命令です。編集者という仕事も初めて、PC雑誌も初めて15年間積み上げてきた記者としての経験や人脈は、まったく無用の長物……。何の役にも立ちませんでしたね。

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