上司と部下の対話が個と組織を強くする――部課長の対話力(1/3 ページ)

» 2010年08月10日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行なう。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 世の部課長(組織でいわゆるミドルマネジメントに当たる人々)に対し、次の問いを発したいと思います。

 日本の働く現場では多くの人が疲れている。マクロの眼で見ると、「経済のグローバル化」「企業の利益至上主義」「成果主義」が要因となって労働者を消耗させ、職場のギスギス化を促進させているように説明が付く。しかしその前にミクロの眼で見て、部長や課長は職場で1人1人の働き手に語りかけることをしているだろうか?

 「大学新卒入社者は最初の3年で3割が辞める」「離職理由の4が能力適性と配属とのミスマッチであるらしい」といった調査データを眺めて、「我慢をしなくなった若者を扱うのは難しい時代だな」と静観することは簡単である。しかし部長や課長は、ある日突然「会社を辞めたいんですが」と言ってきた社員と、それまでどんなコミュニケーションを交わしていたのだろうか。

 世の中は戦略ブーム、知識ブーム、変革ブーム、制度ブームである。しかし、組織を本当に変えるために、そもそも経営者と働き手、上司と部下の間にどれだけの対話があっただろうか?

 「近頃の若者は●●できない」「最近の新入社員は●●が弱い」といったイマドキの若者論はいつの時代にも年長世代の口から漏れてくる。しかし、同時に耳を澄ませば、こんなことも漏れ聞こえてきたりしないだろうか?―――「イマドキの部課長は保身に走っている」「イマドキの上司の背中は貧相だ」「最近の中間管理職はトップからの命令と数値目標を現場に下ろすだけの伝書鳩管理職だ。自らの言葉で真正面から何かを語ってくれた試しがない」

 部課長たちは、研修やセミナーでコミュニケーション術の習得に熱心である。しかし、ピーター・ドラッカーはこう言っている。―――「どのように話すかという問題が意味を持つのは、何を話すかという問題が解決されてからである」 (『プロフェッショナルの条件』より)。そう、術・スキルをうんぬんする前に、部課長たちは「語るべき何か」をどれほど豊かに内面に持っているだろうか?

 確かに部課長は日ごろの職場で、業務指示や目標徹底など通知すべきことは多く抱えている。しかしそれら命令や情報とは別に、「仕事とは何か?」「よりよく働くこととは何か?」といった誰もが抱く根っこの問いに対して、どれだけ多くのことを肉声で語っているか、あるいは語れるだろうか? そしてそもそも、部長や課長は一職業人として、語ることのベースとなる「観」をどれだけ堅固に持っているのだろうか?

 私もサラリーマンを辞めた時は、ある大きな企業の中間管理職をやっていました。中間管理職というのは、組織の中で実に雑多な情報が行き交うポジションであり、またそれらを適切に処理し、部署を動かさなくてはならない役目にあります。従って、部課長は日々大量のコミュニケーションを行っています。書類のやりとり、電話やメールのやりとり、会議での発表や討論、取引契約の交渉、接客での説明やプレゼンテーション、仕事合間の世間話など。

 さて、そこで振り返ってみるとどうでしょう、その中で「対話」という形式を使ったコミュニケーションがどれくらいあるか?―――ほとんどないことに気がつくでしょう。社内で行われるほとんどは、 「指示・命令系」もしくは「議事系(会議・討議)」のコミュニケーションです。あと「渉外系(商談・折衝)」「雑談系」があって、そしてまれに「対話系」が混じってくるという具合です。

 部長・課長が自分の部下に対して、思索や啓発をうながす対話を行ったのはいつのことでしょうか? 一週間前? 半年前? 1年前? それともその類のことはやったことがない? もっとも、対話であると思っていたものは、一方的なお説教であったり、単なるガス抜きの談話であったりする可能性もあります。

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