コラム
» 2010年08月18日 08時00分 UPDATE

「うちの部も伝説を作ろうじゃないか」――デキル上司は目的への貢献意欲を湧かせる (2/3)

[村山昇,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

部下を自分に従わせるのではなく、目的に従わせる

 往々にして、部課長というものは、1番目の情報伝達のコミュニケーションに偏りがちですし、そこに自分の存在意義を込めようとします。指示・命令の正確な伝達と徹底こそ部課長の役目として、権力の上下関係を後ろ盾に、部下を自分に従わせようと躍起になります。そして、部下が従順に従えば従うほど(あるいは従うふりをしたとしても)、部課長はそこにある種の安堵感を覚えるものです。

 しかし本当のところ、部下は仕事上の家来でも子分でもありません。意欲喚起のコミュニケーションを十分に知っている部課長は、部下を自分に従わせようとするのではなく、目的に従わせようとします。つまり目的完遂のために彼らをどう貢献させようか、その貢献過程で彼ら自身が成長を得られるにはどう働きかけをすればよいか、について頭を巡らせます。

 そうした部課長は、部下に対し「なぜ、あいつは俺の言うことをきかないんだ」とイライラはしません。「あいつは俺の言うことをきかないが、反骨エネルギーは持っている。そのエネルギーを目的に結び付けるにはどういう刺激を与えればいいのか」、そういう発想になるのです。

 ある意味、情報伝達のためのコミュニケーションは簡単かもしれません。「何を・どうやるか」について、職権を土台にして伝達すればよいからです。一方、3番目の貢献意欲喚起のためのコミュニケーションは、職権パワーはあまり効力がなく、その上司の語る力、想う力、人間的な包容力、根気が問われることになってきます。部下を1人の人財としておもんばかり、彼(彼女)の意欲を目的につなげ、会社を働く舞台とし、仕事を成長機会にしてやる、そうしたことは大変なことですが、それこそが部課長が行うコミュニケーションのチャレンジングな部分であり、深い喜びの部分でもあります。

好かれる上司が「よい組織」を作れるわけではない

 良い組織における上司と部下の人間関係とはどのようなものか?―――ピーター・ドラッカーは次のように指摘しています。

 「人間関係に優れた才能を持つからといって、良い人間関係が持てるわけではない。貢献に焦点を合わせることにより、初めて良い人間関係が持てるのである。生産的であることが、よい人間関係の唯一の定義である。仕事に焦点を合わせた関係において成果が何もなければ、温かな会話や感情も無意味である。とりつくろいにすぎない」(『プロフェッショナルの条件』より)

 ここでドラッカーは2つの重要なことを指摘しています。1つめに、良い人間関係を「生産的であること」と定義したこと。良い人間関係というと、「掛け値のない相互信頼」とか「反りが合う」「気楽に付き合える」などと考えてしまいがちですが、事業組織という中での良い人間関係とはまさにこのとおり――みんなが目的を共有し、各自がそこに貢献しようと生産的になれる関係――です。反りが合う、気楽な人間関係はそれに越したことはありませんが、組織の中ではそれが往々にして派閥や親分子分の連れ添いを生み、弊害となる場合も多いものです。

 2つめとして、良い人間関係を持つことは能力・テクニックではないこと。これはハッとする指摘です。私たちは往々にして、人間関係の構築を「対人コミュニケーション法」という技術で何とかしようとしますが、いくらそうした技術を身につけたところで、互いが目的を共有せず、心がバラバラな状態では決して良好な関係は生まれません。組織に属する人間たちが個々のさまざまな違いや対立を乗り越えて、良い関係が構築できるのは、技術のあるなしではなく、 「共通の想い」のあるなしです。

 ですから、部課長が組織を引っ張っていくために最も重要なことは、目的をみんなでしっかり持ち合うよう働きかけをすることなのです。上司は部下に好かれなくてはならない、役員に取り入らなければならない、チームは和気あいあいとしていなければならない、などとやきもき考えだす必要はありません。自分の想いを真正面から語り、共通目的の下にメンバーが貢献意欲を湧かせ、生産的になる―――それに専念することです。

 1番目の伝達のコミュニケーションに長けた部課長が、あるいは2番目の関係性融和のコミュニケーションがうまく人気のある部課長が、必ずしも「よい組織」を作れるとは限りません。

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