作品内容が変わることはない――宮崎駿氏らが語る、大震災と新作『コクリコ坂から』(3/6 ページ)

» 2011年03月28日 22時05分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

『コクリコ坂から』の次作品の準備にも入っている

 今回の会見の趣旨は、主題歌の発表にあった。しかし、会見後の質疑応答では、震災後まだ間もないとあって、震災がジブリの作品作りに与えた影響についての質問も多く投げかけられた。

『コクリコ坂から』公式Webサイト

――主題歌に込めた思いを聞かせてください。

宮崎駿 あまりそういう理屈をしゃべっても仕方がないと思っています。『さよならの夏』という曲は人を恋うる歌です。人を恋する歌と言った方がいいかもしれません。「繰り返し、繰り返し、人は人を愛し続けていく」という繰り返しの歌だと僕は思っています。「その初々しい気持ちというのはとても大切なんだ」と僕は『さよならの夏』から感じて、好きになりました。

 少年がいて、少女がいて、そこに恋があろうが、恋がなかろうが、とにかく前を進もうと(いう意味を込めている)。上を向いて進むとけつまずきそうなので、僕は前を向いて進んでほしいのですが、同じような意味を多分、(鈴木敏夫)プロデューサーも考えているんだと思います。そういう意味でこの歌が大好きなので、それをどうして好きなのかというのを説明する必要はあまりないと思います。聴いていただければ分かると思います。

宮崎吾郎 『コクリコ坂から』がシナリオになる前、作品の構想案を聞かされ、主題歌には『さよならの夏』がいいと聞かされました。その時、僕は自分がよく分かっていなかったせいだと思いますが、「30数年前の曲を今、引っ張り出して、そこに何の意味があるんだろう」と思いました。

 ただ、やっぱりそれを繰り返し聞き、手嶌さんの歌声で聞いたことによって、何と言うんでしょうね。「人を思う気持ちということに今も昔もないんだ」と思うようになりました。人を恋うる気持ちや大事な人を思う気持ち、それが歌われている歌である以上、そこに古さや新しさは関係ない。それは、手嶌さんの歌声を聞いていただければ、十分分かることだと思います。ですから今は「これ以上この作品にふさわしい曲はない」と思っています。

――「シナリオが遅れた」とおっしゃっていましたが、それは震災のことを盛り込むために遅れたのですか?

宮崎駿 震災と『コクリコ坂から』の内容はまったく関係ありません。2011年になってバタバタとか、2週間前の震災で内容を変更させたとかは一切ありません。(遅れていたのは2010年の話で)本当は2010年1月くらいにシナリオがあがって、監督に渡して、さまざまな準備や絵コンテ作業に入って、『借りぐらしのアリエッティ』が終わった時にすぐ作画に入れるようにするというのが、私が当初立てていたプランでしたが、自分のせいでずるずる遅れました。

――「上を向いて歩こう」というキャッチコピーに込めた思いは。

宮崎駿 「上を向いて歩こう」はその世代(坂本九氏が活躍していた時代を知っている世代)の鈴木プロデューサーが考えたことです。僕はあまり好きではないのですが。

宮崎吾郎 キャッチコピーを考えたのは2010年12月です。ですから、こんなことがあるとはまったく予期していませんでした。『コクリコ坂から』の中には、坂本九さんの歌が出てきます。当初は『見上げてごらん夜の星を』だったのですが、鈴木プロデューサーの「ヒットしたのは『上を向いて歩こう』だと」いう言葉と、僕が『上を向いて歩こう』が好きだからこれを使おうという意見があって、12月に(キャッチコピーを)「上を向いて歩こう」にしようという話が出ました。

――「今、この歴史的な事件をはさんで、『自分たちの作ろうとしている映画が、時代の変化に耐えられるかどうか』というのが僕らの最大の関心」だったが、「今、この企画を自分たちが作っていたのは間違いではなかった」とおっしゃたのですが、間違っていなかったというのはどういうことなのでしょうか?

宮崎駿 「流行っているものをやらない」というのがジブリの誇りでした。それで、「自分たちの生活そのものもよどんできて、不安だけが通奏低音となる時代に、いったい何を作るのか」ということが自分たちは問われているんだと思います。そういう意味で、ヒロインの海という少女の願いや、少年の雄々しく生きようという気持ちはこれからの時代にも絶対に必要なものだと思います。

 残念なことに私たちの文明はこの試練に耐えられない。だから、「これからはどういう形の文明を作っていくかということの模索を始めなければならない」と思います。「誰のせいだ」とか、「あいつのせいだ」とか言うことの前に、敬虔な気持ちでその事態に向き合わないといけないと思います。

 先ほども申しましたように、今、何十万人の人間が寒さに震え、餓えに震えています。それから放射能の前線に立っているレスキューや自衛隊や職員のことを思うと、その犠牲に対して感謝と……そうですね、誇らしく思います。まあ、文明論を軽々しく語る時ではありません。「敬虔な、謙虚な気持ちでいなければならない」と思いますが、この映画がこの時代に、多くの人たちの何かの支えになってくれたらうれしいなと思います。

――今回の震災という大きな出来事は今後の作品制作に影響を与えるのでしょうか?

宮崎駿 実は私はもう次の作品の準備に入っていて、まだ発表の段階にはありませんが、「その作品はまったく変更する必要がない」と胸を張ってやれると思っています。まあ、この年ですから思ったように手は動きませんが、その企画を進めていこうと思っています。ただ、物質的な条件やいろいろな条件はこれから変化するでしょうから、前と同じような感じで映画を作り続けることができるかどうかは、まだ私たちは分からないと思いますが、それでもそれに向かって進んでいこうと思っています。

宮崎吾郎 とにかく今やっているものを今作り上げることが目標ですから、その後のことはなかなか考えられませんが、「多分変わることはないんだ」と思いますね。「むしろ確固たるものになった」といいますか。正直に言うと、「自分も1〜2年前はかなり弛緩した状態だったんじゃないかな」と今、思います。ですから、「こういう時代だからこそ、何かを作り上げないといけない」という気持ちはより強くなった。「将来的に作り続けることができるのであれば、その気持ちを持ち続けることはできるだろう」とは今思っています。

――先ほどのお話の中で、「今まで自分たちが作ってきたファンタジーを作る時期ではない」とあったのですが、それはどういった思いからなのでしょうか。

宮崎駿 ファンタジーがあまりにもたくさん作られて、ゲーム化してしまったからですね。ですから、「ゲームの中に我々がまたゲームを作る必要がなかろう」という思いになっていた、ということだと思います。

『ホビットの冒険』(J・R・R・トールキン著)

 ゲームというのはさまざまなゲームがあるのでしょうが、文章で書かれたゲームもいっぱいあるわけです。それは『ホビットの冒険』というJ・R・R・トールキンの名作があるのですが、それは至るところから引っ張り出されて、ゲーム化された結果、原作がすっかり食い尽くされてしまいました。でも、面白いことに『西遊記』は食い尽くされているはずなのに、食い尽くされていない力を持っているのが不思議だなと思います。かといって、『西遊記』をやるわけにはいかないので、「何を作ろうか?」ということで、考えてきたわけです。

――ファンタジーがたくさん作られすぎているからというのが理由で、作り手としてファンタジーを作りたくないからというわけではないんですね。

宮崎駿 もちろんそうです。(ファンタジーでない作品では)人間を描かなければいけないのですが、僕らにとってはアニメーションの上で等身大の人間を描くというのは非常に不利な戦場です。でも、それを覚悟しなければいけない時期が今あります。「それをくぐり抜ければ、また次に違う展開があるだろう」と思っていますが、なんせ私自身がこういう年なので、そんな先まで今考えるのは無理なのです。しかし今、私が進めている(次回作の)準備というのは、まさに等身大の人間が出てくる映画です。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.