新聞が「残念」だ。収益の柱だった購読料収入と広告収入が落ち込み、経営的にはまさに“崖っぷち”。しかし紙面を見ても、新たな動きが感じられないのはなぜだろうか。
旧態依然とした新聞に、何か特別な要因が潜んでいるのかもしれない。変わらない新聞の謎に迫るために『「朝日」ともあろうものが。』の著者・烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)さんと『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 』の著者・窪田順生(くぼた・まさき)さんに、新聞業界が抱える問題について徹底的に語り合ってもらった。
――今回は「残念な新聞」というテーマで、お2人には語り合っていただきたいと思っています。ところで2人の共通点といえば、朝日新聞の元記者であることですね。
烏賀陽:朝日新聞に対するバッシングはきついですよね。官庁などと同じような制度疲労が進んでいて、“衰退”の先端を走っているようにとらえられている。高度経済成長期のときはうまくいっていて、新聞代というのは水道代やガス代と同じようなものでした。
窪田:まさにインフラの1つ。
烏賀陽:そうですね。当時は水道やガスに似た独占的な情報インフラでしたから。経営がうまくいかなくなっても購読料を値上げすれば、もろもろの問題が解決していた。しかしこの発想にはコスト意識もマーケット思考も乏しかった。
窪田:朝日新聞に就職したとき、まず階段のような表を見せられたんですよ。そこには年齢と職位などが書かれていて、給料も記されていました。そして人事担当者が紙を見ながら「窪田君はココからスタートだから」と言ってきた。でも「なぜココからスタートなんだろう? その根拠は?」と疑問に思いましたね(笑)。
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