『アメトーーク』はなぜ流行る?――テレ朝に学ぶコンサル的発想(前編)「半農半X」 ビジネスコンサルタントと、農業と……(2/3 ページ)

» 2011年05月13日 08時00分 公開
[荒木亨二,Business Media 誠]
誠ブログ

仕掛け満載の先進的バラエティ?

『アメトーーク』DVD

1.笑いが消費のモチベーションを上げる

 笑いのプロフェッショナルである芸人が、普通の家電を偏屈なまでに愛して語る。家電芸人という一風変わった趣向が大きな反響を呼んだことは、記憶に新しい。チュートリアルの徳井義実さんが番組内で褒めちぎったマニアック商品「YAMAHA YSP1100」が、Yahoo検索ランキングで4位になったという衝撃の事実からも、その独特の影響力をはかり知ることができる。

 今や家電=芸人という新たなマーケット、新たなアプローチが生まれつつあり、高い影響力を持つようになった家電芸人はCMに起用される事態にまで発展している。これまで家電の宣伝といえば、有名俳優が定番であった。ここに新たな道をひらいた効果は大きい(ここには失敗もあり、中編で書く予定)。

 たった1つのバラエティ番組が、新たな消費モチベーションを喚起することになった。バラエティは楽しむだけのものでなく、日本経済にも影響を与える、それが『アメトーーク』の底力の1つである。

2.売れない芸人を活躍させるインキュベーション

 「家電芸人」然り、「47年組芸人」然り、「中学の時イケてない芸人」然り、『アメトーーク』は売れていない芸人を起用することに長けている。普通のバラエティなら売れっ子、旬の有名人ばかりを集めて作っていくが、視聴者としてみれば予定調和的であり、ほかの局でも似たような番組を見ることはできる。

 芸人としては漫才やコントが面白くなくても、ニッチなテーマであれば、トークで個性を発揮することができるかもしれない。とある分野に限って言えば彼の右に出る芸人はおらず、視聴者ウケはしなくても芸人ウケするディープな笑いが生まれるかもしれない。

 売れていない芸人も使いよう、素人ではないから魅せる話術や落とせるコツは心得ており、テレビに出してみると想像以上に面白かったりする。すると、視聴者は「あれ? この人テレビであまり見たことないけど、笑いのセンスとか話し方とか上手いじゃん!」との評価につながる。

 売れていない芸人の評価が高まると、次の別企画に呼ばれることもあり、そこでまたまた個性を発揮して笑いを生み出すと、次第に名前が売れていくサイクルに入る。数多の芸人がしのぎを削るなかで“芸だけでない個性”を発見し、育てていくインキュベーション機能も備えている。

 『アメトーーク』はリアルな番組を通じて埋もれた芸人を発掘し、視聴者にプレゼンさせる芸人の夢舞台でもある。視聴者はそんなお宝も期待している。

3.タブーを思いっきり笑う

 「徹子の部屋芸人」という、わけの分からない企画も秀逸だ。テレビ朝日の長寿番組『徹子の部屋』に出演し、彼女の独特の切りまわしにコテンパンにやられた芸人は数知れず。そんな芸人たちを集め、徹子の部屋でどれだけやっつけられたかを大いに語り合い、笑い合う企画である。

 「徹子さんって笑いが分かっていないし、空気読めないし、出演するのは名誉だけど正直厳しいよね……」、と芸人たちが何となく思っていた共通の空気感を集め、「それならいっそのこと徹子さんについて語ってしまおう! ついでにパロっちゃおう!」という大胆企画である。

 『徹子の部屋』はテレビ朝日の看板番組の1つ、いたって真面目なトーク番組であり貴重なコンテンツである。そして、黒柳徹子さんは芸能界の超大物、イジるのはタブーであった。ところが「徹子の部屋」を放映しているテレ朝みずからがパロることで、シュールなリアリティーが生まれる。

 芸人たちが体験したさんざんな話は、単純に笑える。そうしたエピソードを集めることで、ややお堅いイメージがあった『徹子の部屋』に新たな価値観を持たせたことは、それだけでもバラエティの魅力として十分である。

 さらに感心したのは、徹子さんのモノマネが得意な女芸人・友近さんを呼んだこと。『徹子の部屋』に出演が決まっている芸人を呼び、徹子さんにふんした友近さんが、過激なフリやテーマでお笑いシュミレーションを行ってから『徹子の部屋』に送り込むというもの。当然、徹子の部屋のプロモーションともなるわけだ。

 一見、黒柳徹子さんをバカにしているような企画でありながら、出演者は彼女に対してきちんと尊敬の念を表明しているため笑いが不快にならず、同時に徹子さん独特の人格をあぶり出す効果もあり、彼女の新たな一面を発掘もしている(最近マンネリ化しており、こちらも中編で書く予定)。

 今回例に挙げたものに限らず、『アメトーーク』が過去に放った数々の企画は、社会に何らかのインパクトをもたらしているものが多い。巧妙な仕掛けがあり、サブカル的なようでありながら実益的であり、もはやバラエティの枠を超えた存在ではなかろうかとさえ感じている。

 『アメトーーク』はすべてがニッチな話題である。ガンダムなんて知らない、じゃあ、見なければいい。昭和47年なんて関係ない、じゃあ、笑わなければいいという発想である。ターゲットを最大限にまで最小化し、その代わりに絞り込んだレイヤーを純粋に楽しませるためだけに作り込んでいる。マスマーケティングとは対極の考え方であるが、むしろこれは正攻法である。

 もはや万人から愛されるような番組は作れない。雑誌が売れず、いたずらにセグメント化して新雑誌を作ってみては廃刊していく出版業界を見れば明らかなように、ライフスタイルが進化し価値感が多様化した現在は、消費も楽しみ方もバラバラなのだ。

 バラバラの時代、どこに共通項があるのかというと、それは「世代という昔」であったり「ニッチな精神世界」であったり、「個人的体験の集積」かもしれないし「社会の片隅の現実感」かもしれないし、普通の発想では見えてこないものばかりである。つかめないそんなココロを的確に掘り起こし、番組として成立させているのが『アメトーーク』なのだ。