天災の後は人災だ 壊れゆく地域社会相場英雄の時事日想(2/4 ページ)

» 2011年06月02日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

地域崩壊の危機

 5月14日、筆者は愛車を駆り、水浜地区に向かった。当初、集落の解散集会に立ち会わせてもらう予定を組んでいたが、同地区の住民だけで執り行いたいと断わられた。

 筆者と同じタイミングで、地元紙・石巻日日新聞が集会を取材した。以下、石巻日日新聞社のご厚意により、記事(5月16日掲載)を転載させていただく。

「行政区解散」 地域崩壊の危機

 東日本大震災で石巻地方の沿岸部は壊滅的被害を受けた。津波は高台以外の家屋を飲み込み、そして全てをさらっていった。帰る家をなくした住民たちは住む場所を求めて四散。地元に残ろうとする人は少ない。住民の離散は“行政区解散”という過去にない事態をもたしている。多くの住民は土地に残っても生活ができず、まちは人がいなければ崩壊してしまう。ふるさとを後にする人と残る人。行動は違っても苦悩は同じだ。

 石巻市雄勝町水浜地区は津波で甚大な被害を受けた。地盤沈下もあり、家を建設することも難しい。多くの住民が帰れないという状況の中、自治組織の区有会では会を維持することができないとし、解散することにした。

 同地区は昭和50年代までは漁船漁業で栄えたが、現在はホタテやカキなどの養殖業が生業。ほとんどが高齢者世帯となっている小さな漁村だ。住民は助け合いながら日々を暮らしてきた。

 そうした中で地域を襲った巨大津波。約120戸ある家屋のほとんどが流出した。海に近い住宅があった場所にはガレキさえ残っておらず、コンクリートの土台だけというところも多い。以前の姿を留めているのは高台の数軒のみだ。

 津波の被害を逃れた民宿で14日、区有会解散の決議をとる臨時総会が開催された。会場には住民約100人が集まった。互いに震災後の生活を確かめたり、携帯電話の番号を教えあったりする姿も見られた。

 地元住民によると、水浜の歴史は600年前に始まった。先祖代々で少しずつ地域を開拓し、自治組織を形成してきた。それがなくなるという重大な事態だが、自らの力ではなすすべがない住民たち。会議は涙も怒声もなく、淡々と議事が進んだ。

 最初の議案は区有会の解散について。会長が、近隣地区が解散の選択をしていることや、仮設住宅の建設状況からも地域に残る人がわずかになる見通しなどから、会を解散することを提案。反対意見はなく、解散は満場一致で決定した。その後は会の収支決算書について報告。住民に返金する積立金の分配について協議した。

 会の最後には役員が「こういう日が来るとは思わなかった。何百年も続いたコミュニティーがなくなった。それでも、住む人が居なくなっても皆さんの気持ちの中に水浜が存在し続けると思う」とあいさつ。出席者の気持ちを代弁する言葉に拍手が起こった。

 水浜内では数十人が避難生活を送っているが、生活の見通しは立っていない。震災から2か月間、水浜にいた女性は「仮設住宅に入ることができればこの地に残るが、抽選に外れたら出て行くことも考えなければならない」と静かに語っていた。

 雄勝地区では、水浜以外にも数か所で自治組織が解散している。今後も同じ選択をする地域は増えるとみられる。水浜の男性は「まちは人。電気や水道が来ても、たとえ養殖が復活しても人がいないと成り立たない。金持ちもそうでない人もすべての人が住みたい地域というものを、もう一度考えたい」と語っていた。

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