5月14日、筆者は当コラム震災特別ルポ(3)と(4)で取り上げた宮城県石巻市雄勝町の水浜という海辺の小さな集落を再訪問した。同地出身の大学院生Aさんから、水浜が重大な岐路に立たされていると知らされたからだ。同地区が直面していたのは、集落の解散という異常事態だった。600年続いた地域社会が壊れたのは、津波による天災が主因だ。しかし生き残った人々は、支援の遅れという本来なら回避できたはずの人災にも遭っていた。
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→【震災ルポ(3)】陸の孤島・雄勝町――津波に襲われた集落の姿
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5月初旬、Aさんから、水浜地区の高台で仮設住宅の建設が始まったと教えられた。同地区のほとんどの住宅は津波によって流され、土台のみが残る惨状だった。住民の大半は家を失い、不自由な避難所生活、あるいは慣れない周辺地域での仮住まいを強いられていただけに、筆者は仮設住宅の報せを手放しで喜んだ。
だが、Aさんからは意外な反応が返ってきた。同地区に残りたいと望む住人全てに仮設住宅が用意されていないというのだ。加えて、同地域の自治会組織が解散すると聞かされ、絶句してしまった。
ルポでも触れたが、同地は津波によって壊滅的な被害を受けたが、先人の教えを守り、いち早く住民が高台に避難。他の沿岸地域と比較して人的な被害は奇跡的に少なかった。
住民たちが迅速に避難した背景には、家族同然の隣人とのつながり、絆があったからに他ならない。平時でも“陸の孤島”と称される雄勝町だけに、互いに助け合わねば生活ができない。このため、市街地に住む人々とは比べ物にならないほど、住民たちの絆が強いのだ。
筆者の母方の亡き祖母は、新潟県の山奥、小さな集落の出身だった。子供のころ、頻繁に同地に足を運んだ経験から考えると、水浜の住民たちがどのように地域を愛し、生活してきたかは十分に理解できた。それだけに、集落が解散するという事態に、筆者は強い衝撃を受けたのだ。
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