評価は後世に委ねたい――菅直人首相、辞意表明会見全文(3/5 ページ)

» 2011年08月27日 15時56分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

次のリーダーは難しい課題でも先送りしない人が望ましい

――(毎日新聞・田中)本日正式な退陣表明となりましたけれども、この3カ月間、海外との首脳の会談がほとんど行われないなど、政治空白に陥っていたという指摘もありますが総理はそれについてはどういう見解をお持ちでしょうか。また、退陣の理由についてですけれども、総理は先日の国会答弁で「一定のメド」の発言について、「6月2日の不信任案で造反が出れば内閣が機能しなくなる」と懸念したと答弁されていました。この点について、まずそもそもそういう党内情勢に陥ったことについて民主党代表として思い当たる点があればお聞かせください。

 まず、この3カ月間私は、例えば復興基本法ができ、2次補正予算が成立し、さらには原子力行政についても保安院を経産省から切り離して新たな安全庁を作るといったことも閣議決定されました。そういった意味で、この3カ月間は大変実り多い政策実行の期間であったと思います。外交においても、ちょうど5月の末にサミットを終えて、この間予定されていた(米国の)バイデン副大統領との会談もできたと、有意義であったと思っております。

 また、私の退陣の理由についていろいろお尋ねでありますけれども、先ほどお話しいたしましたように、私としては、そうした党内の難しい環境を踏まえながら、その中でやるべきことをやっていこうと、そういう考えで進めてきたつもりであります。

――(TBSテレビ・今市)総理の後継を決める民主党代表選挙が明日告示されることになりましたけれども、菅総理が後継の総理に望むこと、託したいことは何なんでしょうか。また総理は、若い世代に責任を引き継ぎたいとおっしゃっていましたが、どういう人物に、後を継いでほしいと思っていらっしゃるのか。また、すでに複数の議員が名乗りをあげているんですけれども、代表選でどなたを支持するつもりでいらっしゃるかについてもお聞かせください。

 今、私のあいさつの中でも申し上げましたように、大変難しい時代に入っている中で、やはり何か物事を先送りしていくのではなくて、難しい課題であっても自らの責任で、国民のみなさんに理解を得ながら進めていく、そういう方がやはり日本のリーダーとしてはふさわしい。そしてその中で、現在の復旧復興、そして原発事故の収束、これらについてもきちんとやり遂げることのできる方に、次の代表や総理になっていただきたいとこう思っております。

――(共同通信・松浦)今回の原発事故の際に、総理は事故の翌日に現地に入られました。これがその現場の作業の邪魔になったのではないかとか、一国のトップが被ばくの危険を冒して現場に行くことの是非などさまざま批判が出ました。このことについて、今現在、後悔されていないのかどうか。それともう1つ、今後同様の重大な原発事故が起こった場合に、時の総理大臣は発生直後に現地に行くべきだとお考えでしょうか。

 私は、今回の事故が起きて今日までいろいろな、当時、その時点では分からなかったことも分かってまいりました。そのことを考えますと、少なくとも原発事故が起きた時点からしばらくは、本当に炉の状態がどのような状況になっているのかということが、残念ながら伝わってこないというか、あるいは把握されていない状況にあり、またそうした現場の把握がなかなか、間にいろいろな伝言ゲームになっておりましたので、伝わってこないという状況がありました。

 そういう点では、3月12日の早朝に、震災や津波の視察と合わせて、東電福島第1サイトに出かけて、現場の責任者である所長にも会えて、意見交換ができたことは、私は、その後のこの問題の取り組みに大変大きな意義があったと、こう考えておりまして、そうした意味では、非常に意味のある行動であったと私自身は思っております。

 ただ、あえて申し上げますと、いろいろな、何ていいましょうかマニュアルがありました。例えば、オフサイトセンターというところに集まっていろいろ決めるんだということが事前に決まっておりました。

 しかし、オフサイトセンターそのものは、あの地震のために、それこそ電気はつながらない、電話はつながらない、そして人が行こうにも高速道路は走れない、つまりはそういう意味でも、想定した対応ができない状況にあったわけでありまして、一般的にどうあるべきかということで考えることも重要ですけれども、そういう風に、もともと予定していたものが機能しないときに、じゃあ機能しないままに来た情報だけで物事を進めようとするのか、それとも自ら現地に足を運んで、直接に状況を把握しようとするのか、私はそれはその場その場の1つの状況の、それも判断だと思っております。私はそうした判断の中で出かけたことはその後の収束に向けての活動にとって、非常に有意義であったと今でも考えております。

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