金儲けは目的なのか、手段なのか?(2/3 ページ)

» 2011年10月26日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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利益は結果的に生まれる「恵み」である

 次に、もう1つの要素である「成果・報酬・恵み」について考えてみましょう。手段を尽くして目的を成就させると、結果的に何かしらの産物が出ます。産物とは、具体的なモノかもしれませんし、目に見えないコトかもしれません。経済的な利益をここに位置づけることもできます。

  • 「本質的には利益というものは企業の使命達成に対する報酬としてこれをみなくてはならない」(松下幸之助著『実践経営哲学』)
  • 「徳は本なり、財は末なり」「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」(渋沢栄一著『論語と算盤』)

 松下幸之助は、事業家・産業人として「水道哲学」というものを強く抱いていました。それは、蛇口をひねれば安価な水が豊富に出てくるように、世の中に良質で安価な物資・製品を潤沢に送り出したいという想いです。

 松下にとって事業の主目的は、物資を通して人びとの暮らしを豊かにさせることであり、副次的な目的は、雇用を創出し、税金を納めるということでした。そして、そうした目的(松下は“使命”と言っていますが)を果たした結果、残ったものが利益であり、それを報酬としていただくという考え方でした。

 一方、明治・大正期の事業家で日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、財は末に来るもの、あるいは糟粕のようなものであると言いました。仁義道徳に基づいた目的や、その過程における努力こそが大事であって、その結果もたらされる財には固執するな、無頓着なくらいでよろしいというのが、渋沢の思想です。

 渋沢は、第一国立銀行のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、そして一橋大学や日本赤十字社などに至るまで、多種多様の企業・学校・団体の設立に関わりました。その活躍ぶりからすれば、「渋沢財閥」を作り巨万の富を得ることもできたのでしょうが、「私利を追わず公益を図る」という信念のもと、蓄財には生涯興味を持ちませんでした。

 このように、お金や利益をもうけようとか追求しようとか、それを主たる動機にするのではなく、主たる動機は別にあって、お金や利益はそのための“前提”として大事である、“結果的”に授かるものである、というのがドラッカーや松下、渋沢のとらえ方です。

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