興行収入ゼロでもいい!? 新聞社が映画出資する理由(2/7 ページ)

» 2011年12月22日 12時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

絶対に1円も損しない作品もあった

 日本の新聞社を米国の新聞社と比べた時の顕著な違いは宅配制度です。米国でも宅配は一部ありますが、主ではなく、日本の新聞社は販売収入に支えられていると言えます。

 新聞社が一番良かった時期は、オイルショック以降からインターネットが広まる1996年ころまでと言われます。広告の売り上げと販売の売り上げが一番ピークだったのが多分1990年なのですが、ピークだった時にあぐらをかいてしまった部分が毎日新聞社だけでなく、各新聞社にあると思います。

石川幸憲著『ワシントン・ポストはなぜ危機を乗り越えたのか』

 石川幸憲さんの『ワシントン・ポストはなぜ危機を乗り越えたのか』という本では、ワシントン・ポストが景気の良かった15年間にこれから伸びるであろういろんな業種をM&Aして、それが今、新聞発行を支えているということを書いています。新聞社の売り上げがピークだった当時、M&Aは日本になじまない風習でしたし、そういうことをあまり行わなかったので、今、日本の各新聞社は苦境にあえいでいるのではないかと思います。

 かたや、時を同じくして、映画業界が売り上げをあげていったんですね。1つにはシネマコンプレックス(シネコン)が全国に浸透してきたことがあり、今、日本のスクリーンの約80%がシネコンになります。

 昔、あるホテルグループがシネコンを出した時、その担当者から面会を求められて、「なぜフィルムが回ってこないんだ」と言われたことがあります。シネコンの草創期、大手配給会社がフィルムを回さなかったということが実際にあったそうです。「どうすればフィルムが回ってくるのかね」という話をされて、「私にはちょっと高度な話なので分かりません」とお答えしました。今では東宝の劇場で松竹の映画がかかったり、松竹の劇場で東映の映画がかかったりと混沌とした状況で、数字が上がれば、日ごとに番組や席数をドライに入れ替えるようになり、それを背景にスクリーン数も増えてきたのですが。

 映画の年間興行収入は2000年の1708億円から、2010年には2207億円になりました。そのうち邦画の興行収入は2000年は543億円だったのですが、2010年には1182億円と一気に上がっていきました。邦画本数も2000年の282本(全体は644本)から、2010年に408本(全体は716本)と、邦画隆盛の時代になっていきました。広告・販売以外のビジネスをやろうとした新聞社がこうした急成長を目の当たりにして、「もしかしたらここはドル箱になるんじゃないか」と各社雪崩をうったという形です。

2010年(平成22年)全国映画概況(出典:日本映画製作者連盟)

 当時、「この映画に出資したら絶対に1円も損しない」という作品が何本かあったんですね。配給・宣伝費は映画会社持ちで、興行で宣伝費が回収できなくても映画会社が持ちますと。さらにビデオグラム※のミニマムギャランティ(最低保証料)がイコール制作費ということで、「宮脇さん、お客さんが1人も入らなくてもこの映画は1円も損しません」と言われた映画がありました。

※ビデオグラム……VHSテープやDVD、Blu-ray Discといった電子記録媒体。

 ビデオグラム市場は2006年ごろから縮小していると思うのですが、灯が消える前の一番燃え盛る時期に、「良いタイトルを自分の会社のラインアップに入れたい」ということから、高額なミニマムギャランティで映画が取引されたことがあったのです。しかも邦画が非常に調子が良かった時期で、出資して興行収入が10億円を下回る映画も少なく、当時の興行収入ランキングを見ていて「何であの映画がヒットしたのかよく分からない」という話も出るくらいです。

 『宇宙兄弟』という映画を2012年5月3日に公開するのですが、その仕事の時にある版元の人から「宮脇さん、50億円以上の作品をやられたことはありますか?」と聞かれて、「『日本沈没』をやったことがあります」と言ったら、「どうやったら50億円を超すんですか?」と聞かれて、「いやあ思い出せない」と答えたことがあります。

 それぐらい邦画に勢いがあった時代があって、当時、小学館、TBS、毎日新聞、東宝が広告宣伝を行って、渋谷でイベントをやった時に号外を出すとかやった覚えもありますが、何でこれだけ数字があがっているのかやっている本人たちも分からないぐらい、振り返れば邦画バブルだったんだろうなあと思うような時代がありました。

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