ジャーナリストの津田大介さんと社会学者の鈴木謙介さんによる対談連載もとうとう最終回。今回は「クルマと若者」「社会貢献と若者」などをテーマに、2人が語り合った。
津田:「若者はクルマに乗らなくなった」とよく言われてますよね。でも、そもそも今の若者はお金を持っていない。またネットを使えば「クルマの所有代とレンタカー代とではどのくらいの金額の差があるか」といったことが簡単に分かります。だから、クルマを持つことが税金なども含め、いかにお金がかかるものかよく知っています。
そのうえ、将来に対する不安があったり、ムダを省こうという気持ちも強い。レジャーのためのクルマというより、実用性の高いクルマを求めています。今後、クルマがさらに普及していくためには、アップルのiPadなどのように新しいライフスタイルを提案できることが必要だと思います。
例えば震災で明らかになったことは、電気自動車やハイブリッドカーは環境にやさしいというだけでなく、非常事態の時に緊急用電源として役に立つことが分かりました。家庭用の蓄電池などはかなりの高額になるので、それを買うならクルマで代用するということも考えられます。
鈴木:同感です。僕も新著『SQ “かかわり”の知能指数』で同じことを書きましたが、次世代のクルマ選びでは、エネルギーをシェアするという観点にも着目して、検討することも重要になってくると思います。つまり、自分のライフスタイルによって「私はプラグインハイブリッドカー、私は電気自動車……」だったりと、人それぞれの行動範囲に合わせて動力源でクルマを選ぶ時代ということですね。
もともとクルマが提案していたライフスタイルは、とりわけモノとしての価値に結びついていたんです。それが特に1970年代以降、商品イメージ提示型のCMが増えてきました。「○○ができるから便利」ではなく、「クルマはかっこいいもの、すばらしいもの」という抽象的な語られ方が目立ってきましたよね。
これはいわば、「モノの情報による付加価値化」という日本製品が採用してきた基本戦略の典型的な例。しかし社会学的には、こうした戦略は「メッセージの社会的な意味が共有される」という前提のもとでしか成り立たない。社会前提が変わればメッセージの意味も変化するのに、「同じようなイメージを共有できない若者のほうがおかしい」という議論をするなんてのは論外。「いまはどういう社会的文脈がメッセージの意味を左右しているのか」ということに対する感度が鈍ってしまっていることに、クルマが売れない根本の原因がある気がします。
言い換えれば、クルマの文脈なんて「分かる奴なら分かる」という点で、「カフェごはんが好きな人」というのと同じくらい特定の文脈に依存している。そして、それをどういう形で打ち出すと生活者にとって意味のあるものになるのか、きちんと調査し、実験することが必要なんだと思います。
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