東大志望者への推薦図書から見える、「解ける」から「分かる」への重み郷好文の“うふふ”マーケティング(2/3 ページ)

» 2012年02月09日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

工学に寄り過ぎた社会へのバランス志向

 「東京理学会社の英語名はTokyo Pure Science and Philosophy Societyですが、理学の立場で学問を扱おうということです。理学とは何かものの役に立つというテクノロジーとは真逆の学問で、ピュアサイエンス(純粋科学)であったり、フィロソフィー(哲学)であるんです。ものづくりの工学部的な考えとは真逆です」

ヴェリタス学校長の梅津英世さん

 東京理学会社の名称の由来は、明治期の1877年設立の学会、東京数学会社にある。日本に何ひとつ数学用語がない時代に、西洋概念を導入して訳語を作った学会だった。例えば、Functionを函数と訳す中で、「Functionとは何なのか?」と本質的な疑問を持った。一方では明治という時代に日本国をどう建設するか、行動への想いも満ちていた。前者を理学的な考え方、後者を工学的な考え方としよう。

 「今、何かを語る時の大人の言葉は確実に工学に寄っているんです。『これ役に立つの?』とか『こうしたらもっと便利だ』とか。この半世紀ほど技術がまん延していますよね。iPadにしてもスマートフォンにしても10年前には考えられなかった。人々の楽しみ方も工学に寄っているんです。しかし理学と工学にはバランスが重要で、本来決して対立するものではないのです。役に立つか立たないかが存在価値ではおかしい。そこに違和感があります」

 ビジネスとはものづくりでありサービス開発。だから「具体性」と「合理性」が求められる。それは間違っていない。学問を技術に使っても構わない。だが、みんなが合理性や効率性を追求すれば、同じようなもの、同じ発想しか生まれない。そう考えて彼らは工学寄りの社会に対して理学を発信することにした。そのやり方もユニークだ。

数学の真理とは決めごとである

 梅津さんは机の上に私が置いたiPad、ノート、名刺入れ、お茶のペットボトルを数えだした。

 「これらは1、2、3、4と数えられます。それは現代人にとって1という数学概念がはっきりあるからです。ボールペンと鉛筆は違うものですが、数える上ではどちらも1。“書くもの”という点で同じであると決めています。でも、縄文人に向かってこれらを1、2と数えたら彼らは怒りますよ。彼らは交換概念でやっているので、羊1匹とお椀1個はちがう。そんなものは1じゃないと」

 ペンと鉛筆は違うものだが、数える上ではどちらも1。書くものというくくりで同じだと決めごとをしている。マイナス1とマイナス1を掛けてプラス1になるまで長い歴史があった。マイナス1×マイナス1=マイナス1という数学体系もあるという。負の数を唱えた数学者は迫害さえ受けた。負の数が役に立つのは、借金の計算くらいだし。

 「数学は真理を表すのではなく我々の決めごとです。決めごとを神が作ったように上から降らせるんじゃダメです」

 かつて数学の偏差値に悩まされた私は、激しく同意した。「公式を覚えろ」と言ったあの教師たちを呪いたい。呪いと神話のせいで、今でも書店には社会人向けの数学本がずらりとあると梅津さんは言う。

 「短時間で利益が欲しいビジネスでは、直接的な工学的発想にならざるをえない。だが、それだけではだめ。リフレクション・イン・アクションという考え方も注目されています。これは理学的なものと工学的なものを行ったり来たりすることだと思います」

 リフレクション・イン・アクションとは行為の中の省察と訳され、過去を省察して多様な視点を受け入れ、次の行動を環境に適したものに変えていくものだ。「1は1だ」という世界と、「1ってそもそも何だろう?」という世界を行き来する。

 間接的な発想を引き出す、理学的な「ため」を持つ。「1って何だろう?」から出発するヴェリタスの理学教育はどんなカリキュラムなのだろうか?

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