その前日の3月10日、宮城県石巻市雄勝地区の中央公民館では、屋上に打ち揚げられた観光バスの撤去作業が行われた。私が雄勝に特に関心を寄せるようになったのは、雄勝の人たちが避難をしていた河北総合総合センター「ビッグバン」を取材した時の経験から。当時中学2年生だった木村颯希君が「雄勝は大好き」と前置きした上で、次のように言ったのだ。
「大人は『復興は10年かかる』と言っているけど、10年では無理だと思う。自分は何もできないが、自分が大人になってから、地球のどこかで大きな地震があった時、何か役に立てるような仕事をしたい」
この男子中学生のことが気になっていたのだが、昨年末に再会した時、「雄勝には戻りたい」と言いつつ、現在は戻らない選択をしていた。
雄勝出身で被災当時は大街道に住んでいた佐藤久美さんは、子どもが「(バスの撤去を)見たい」と言ったので、一緒に連れてきた。
「中央公民館は思い出が多い場所です。バスが撤去されるということは、中央公民館も壊されるのでしょう。思い出が1つなくなるので悲しい。でも、これで復興が進むのならそれでいい」
そう話して、撤去作業を見つめていた。
宮城県気仙沼市では、JR鹿折唐桑駅近くに大型漁船「第一八共徳丸」が打ち揚げられている。この漁船は被災地のモニュメントとして残すのか、震災の苦しさを思い出すので撤去するのかで議論がある。さまざまな人が訪れる場所になっているのだが、「観光地になってしまう」と不安を抱く人もいる一方、被災地以外の人たちが津波の恐ろしさを学ぶ場ともなっている。
静岡県浜松市から訪れた大学生、長谷麻呂美さんは被災地に来たのは初めて。翌11日の追悼式のボランティアスタッフとして気仙沼市まで来た。被災者の話も聞いているという。
「友達からボランティアに誘われた。『一度は来ないと』とは思っていたのですが、積極的ではありませんでした。テレビの映像を見ても衝撃はなかった。大学が浜松なので津波は心配。まだ現実感がないですね。見たもの、話を聞いたものは伝えたいと思った」
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