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» 2012年07月23日 08時00分 公開

新聞社が、「奇跡の一本松」記事を書き続ける理由さっぱり分からなかった、3.11報道(2)(3/4 ページ)

[土肥義則,Business Media 誠]

「奇跡の一本松」の記事を書き続ける理由

相場:烏賀陽さんは著書『報道の脳死』(新潮社)でも紹介されていますが、陸前高田市にある通称「奇跡の一本松」の記事が典型的ですよね。津波に耐えて1本だけ残った松を、各社は復興のシンボルのように記事にしました。

 本の中では「朝日、毎日、読売と連日『陸前高田市のマツ』ネタが6月6〜8日に集中した。3紙を購読している私は区別がつかず『これはもう読んだはずではないのか』と頭が混乱した」(20ページ)と書かれています。

 おそらく大手メディアはこのように対応したのではないでしょうか。他社の陸前高田市の一本松の記事を読んで「おい、これ○○新聞に掲載されているぞ。お前らもやってこいよ」と。

烏賀陽:他社が「一本松の記事を書いたから、ウチも書こう」というのは悪くはないんですよ。でもそれは最初だけの話。七夕の星空のときには一本松を撮り、仲秋の名月が出たときには一本松を背景に撮り……。これはいくらなんでも芸がなさ過ぎるだろう、と誰かは気づいているはずなんですよ。

 記者個人はそうした紙面を見て、「あああ……」ってため息をついているはず。しかし新聞社という組織が動けば、どうしようもなく、そういうくだらないことが起きてしまう。

 現場の記者が感じていることと違った形で、紙面が作られていく。紙面と記者個人がどこかで切断されているんです。これはもう新聞社、いや組織報道の限界ではないか。

相場:なるほど。

写真左は読売新聞夕刊(2011年6月7日)、写真右は毎日新聞朝刊(2011年6月6日)

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