新聞社が、「奇跡の一本松」記事を書き続ける理由さっぱり分からなかった、3.11報道(2)(1/4 ページ)

» 2012年07月23日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

さっぱり分からなかった、3.11報道:

 2011年3月11日に起きたマグニチュード9.0の東日本大震災。それが引き起こした巨大津波、そして福島第一原発の事故……。首都圏にまで広がった放射性物質に対し、新聞、テレビ、雑誌、Webサイトなどが報道合戦を繰り広げ、分かったことがひとつだけある。それは「よく分からなかった」ことだ。

 原発事故は「戦後最大のクライシス」といってもいい状況だったのに、新聞を読んでも、テレビを見ても、「避難したほうがいいのかどうか、分からなかった」という人も多かったはずだ。3.11報道のどこに問題があったのか。その原因は報道機関という組織なのか、それとも記者の能力なのか。

 大震災と原発報道の問題点を探るために、ジャーナリストとして活躍する烏賀陽弘道氏と、作家でありながら被災地に何度も足を運ぶ相場英雄氏に語り合ってもらった。この対談は、全6回でお送りする。


バックナンバー:

 →なぜマスコミは“事実”を報じなかったのか(1)

 →本記事(2)


「日常国」と「非日常国」

――1995年に起きた阪神・淡路大震災と東日本大震災、どういったところが違うのでしょうか。

烏賀陽弘道氏

烏賀陽:阪神・淡路大震災のときは神戸でガレキの山を歩いても、大阪に行けばとりあえず平常時に戻れました。ところが東日本大震災は500キロの広範囲にわたっているため、破壊された面積がものすごく広い。取材が1日、2日で終わらないことがありました。ガレキの荒野を毎日1週間ほど歩いていると、気が狂いそうになる。「壊れていないモノを見たいなあ」「普通の街に戻りたいなあ」と思うようになるんですよ。

 行けども行けどもガレキの荒野、生きた人間に会わない。そんな光景を見続けていると、神経がおかしくなってくる。こうした感覚は「戦争」であって、日本は1945年8月を最後に経験していない。

 米国だって、本土が広範囲に破壊されることを経験していません。ワールドトレードセンターのテロでグラウンドゼロはぐちゃぐちゃになってしまいましたが、お隣りのグリニッジビレッジに戻れば普通にお酒が飲める。非日常から日常に切り替えられる。

 東日本大震災の被災地は、全生活がすっぽり「非日常」に移行してしまう。日本の中に“国境”があるようなものです。「非日常国」と「日常国」ですね。

相場:それ、すごく分かります。

烏賀陽:被災地で取材を続けていると、こちらまで「日常国」が異文化に感じてくるんですよ。「非日常国」の方が言葉も感覚も通じる。だんだん居心地が良くなってくる(笑)。

 ベトナム戦争から帰って来た兵士が、米国に戻ってきてもなじめなくて、ベトナムに戻ってしまう。そんな心理が理解できてくる。

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