対立軸のなくなった政党政治はどこに向かうのか藤田正美の時事日想(1/2 ページ)

» 2012年07月23日 07時59分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 「それにしても民主党がここまでひどいとは思わなかった」

 そんな感想を聞くことがこのところ多い。2009年のあの高揚はいったい何だったのか。鳩山内閣で「?」がつき、菅内閣で「??」となり、そして野田内閣では「???」となってしまった。

 今の野田首相は、いったい自民党とどこが違うのだろうか。民主党からぽろぽろ離党者が出るのは、単に小沢元代表が「割った」というだけではない。尖閣買収構想、集団的自衛権、右に急旋回しているさまは、自民党にすり寄って大連立を組もうとしているかのようにさえ見える。そうなると「民主党に留まる意味がない」と考える議員も少なくあるまい。場合によっては次の総選挙は、大阪維新の会から出ようかと思う人もいるだろう。

 そもそもの間違いは、社会保障の将来像を示せないままに増税だけを先行させたところにある。年金や医療、介護といった問題は、自民党時代に厄介のタネがまかれ、それが芽を出し、生い茂って今まさにどうしようもなくなりつつある。その意味では野田首相の言うように「待ったなし」には違いないのだが、まずは社会保障の一体改革を超党派で議論することが重要だったと思う。なぜなら、本来的には税金の問題は、政党の重要な存在理由の1つであり、政党としての違いを打ち出すべきところだからである。

 歴史を振り返ってみても、国王の重税に怒った市民による革命が市民革命だったし、米国の独立戦争も本国の英国の課税に反発したものだ。日本共産党が「大企業や富裕層から取るべきだ」と一貫して主張しているところに、政党が存在する意味が集約的に表れていると思う(この主張に現実味がないことはここでは触れない)。

 それなのに野田首相は、増税法案を通すために大仰な言い方をすれば民主党を売り渡してしまった(少なくともそう感じた民主党議員がいっぱいいた)。すなわち社会保障改革も、議員定数削減も、行政改革も先送りしたのである。民主党のマニフェストはどう弁明しようが総崩れに近い状態だ。

 もちろんマニフェストを何が何でも守るべきだとは多くの国民が思っていない。しかしなぜ増税が必要なのかを野田首相は国民に説明できただろうか。「社会保障を維持するために」と言っても、例えば自民党は財政に余裕ができるから「10年間で200兆円の公共投資」などとまた古くさいことを言っている。

 公共投資はすべていけないとは言えないにしても、従来と同じ考え方で公共投資をすれば無駄な道路や無駄な橋が増えるだけになる。もうそれは止めなければならない。1990年にバブルが弾けて以来、自民党政権は景気を浮揚しようと懸命に公共事業をやってきた。それを借金でまかなったことが今日の財政を生んでいるのである。

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