財政再建が本来のターゲットであれば、増税だけでなく、社会保障にも切り込まなければならないというのも、何度も書いた。医療、年金、介護など社会保障関連費用は年間30兆円弱(地方まで含めれば40兆円を超える)だが、これは現在の制度が続く限り、毎年1兆円以上自動的に増える。そして恐らく団塊の世代が70歳を超えたあたりから急激に増加することは目に見えている。
団塊の世代は1947年から1949年の3年間に生まれた人々のことを言う(かく言う私もその1人だ)。この世代を合計すると約800万人。最近の若者たちは1年でだいたい130万人前後、今生まれている赤ちゃんはだいたい100万人だからいかに私たちの世代が多いかが分かるだろう。乱暴に言ってしまえば、今のままの社会保障で団塊の世代を養うことはできない。
そして医療は着実に技術進歩を遂げ、人は死ななくなった(必ずしも長生きするようになったとは言い切れない。むしろ従来であれば死んだような病気で死ななくなったということだ)。東京大学政策ビジョン研究センターの秋山昌範教授に言わせれば「死なない、治らない」というのが現代の医療だ。その結果、医療はどんどん膨らむ。
その状況と団塊の世代の高齢化を掛け合わせると、日本の医療が持続不可能だということは容易に想像できる。高齢者に対して無制限に保険診療を認めている日本の寛容な制度が、結局は、国民皆保険制度そのものを破壊しかねないということを認識しておかなければならない。
先日、この話を同世代の人間と話し合った。「もし高齢者に対する保険診療を制限したら」という前提だったが、「そんなことをすれば金持ちだけが生き残ることになる」と言った。「姥捨て山」だという批判もあるだろう。しかしはっきり言えば、今のまま続ければ、病院も医師も疲弊し、医療費がどんどん増え、国家財政や地方自治体の財政を圧迫する。そしてある日、医療費におおなたを振るうことになる。あるいは大増税をしなければならない。
医療や介護の制限は、現在それを受給する世代の負担になるが、税金や保険料で賄うことになれば、後の世代に面倒をかけることになる。だからもし私自身が、年齢のために保険診療を制限され、治療をあきらめざるをえなくなっても仕方がないと考えている(今そういう状況にないから、そんなことが言えるのだろうと言われたら、返す言葉はないが、少なくとも覚悟はしようと思う)。
皮肉なことにこの一番問題を顕在化させる団塊の世代は、今や大票田でもある。つまり団塊の世代を敵に回すと、政党は致命傷を受ける可能性もあるということだ。しかしそこにひるんでいては、日本の将来を見通すことはできない。もし本当に「ひるまない」政治家が現れたら、日本の政治もまだまだ捨てたものではないということだろうか。
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