実際、本陣近くの売店では、飲料品などのほか、当たり前のように線量計が配備されていた。これが南相馬市の市民が置かれた現実なのだ。
出陣式に先立って訪れた仮設商店街の飲食店、「双葉食堂」でも店のスタッフと客の間で同じように野馬追を気に帰郷した人たちの会話が交わされていた(関連記事)。
先の共同電が触れた「2年ぶり」という重みは、大震災と原発事故で生活のリズムと生活の場を奪われた地元の人々の何気ない会話から、ひしひしと感じられたのだ。
出陣式当日、気温は35度超だ。猛烈な暑さの中で集う地元民の内側に、さまざまな思いが詰まっていた。
福島第一原発の方向を見たあと、私が改めて馬場に目を向けると、子どもたちが馬に駆け寄っていくのが見えた。武者装束の親族に会いにきた子どもたちのようだ。
キレイな馬ですね。そう私は声をかけてみた。
「コイツ、ちょっと気性が荒くてね」……武者が言った途端、馬が後ろ足を蹴り出した。「他の馬が、コイツのテリトリーに入ると気にいらねぇんだ」。
聞けば、かつてはGIIレースで活躍し、トータルで数億円の賞金を稼いだ12歳の名馬だという。
子どもたちがさらに馬との距離を詰めると、武者が手綱を引いた。名馬が子どもたちに鼻先を寄せる。子どもたちは一切臆した態度を見せず、馬をなで始めた。
この瞬間、悟った。この街は、馬と人間の距離が近いのだ。2年ぶりという言葉では言い表せないほど、馬と人間が身近に互いの存在を感じ、生きてきたのだ。
国の重要無形民俗文化財というタイトルがついていようがいまいが、この野馬追という行事が市民の生活に浸透している。子どもたちの姿とそれを見守る大人の優しい視線に接したとき、野馬追の規模を縮小せざるを得なかった昨年の市民の無念さが、少しだけ理解できた気がした。
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