2007年から復原工事に着工していた東京駅が、10月1日に“新たな顔”としてスタートする。これまでの駅舎を解体して建て直すのではなく、外壁などの主要部分は保存して、大正時代に建てられた姿に復原するのだ。
旅行や通勤などで東京駅を利用したことがある人は多いかと思うが、東京駅の歴史を知っている人は少ないのでは。そこで営業を開始した1914年(大正3年)前にスポットをあて、当時の東京駅はどのように設計されていたのかをご紹介しよう。
大手町先輩:経営戦略室のエリート社員で、マコの先輩。とにかくいろいろなことに詳しい。なぜか、たまに関西弁でしゃべる。
マコ:大企業の経営戦略室で、大手町先輩のアシスタントとして働く。社会人1年目。時事問題にめっぽー弱く、社会人としてはまだまだ。先輩から何を言われてもへっちゃらな性格。
大手町:マコさんって、東京駅を利用したことがあるよね。実は設計段階の明治時代には、「東京駅」という名称ではなかったんだ。
マコ:えーっ、そうなんですか!?
大手町:どんな駅名だったと思う?
マコ:うーん、なんだろう? 丸の内駅? 八重洲駅?
大手町:「中央停車場」という駅名だったんだ。ヨーロッパでは主要な駅で「都市名+中央駅」という名称をよく見かけるけど、日本ではあまりないよね。
マコ:確かに。大阪駅、名古屋駅……。なぜ「中央」という駅名がつけられたんですか?
大手町:この計画を立てたのが、ドイツ人の技術者だったからかもしれないね。
マコ:なるほどー。
大手町:中央停車場駅の場所もいまの東京駅ではなく、銀座あたりに計画されていたんだ。
マコ:どうしてですか?
大手町:当時、国会議事堂がいまの永田町に建設される予定があったので、そこへのアクセスの良さを考えて銀座を候補にあげていたようだね。
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