今の設置基準を満たしているだけでは大学としてダメ(2/2 ページ)

» 2012年11月07日 08時00分 公開
[純丘曜彰,INSIGHT NOW!]
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 1989年に、地方の小規模の相互銀行を「第二地銀」として一般銀行と同じような体裁に転換した。その半数はその地域性を生かし、うまく軌道に乗ることができたが、しかし、残りの半数はその後、経営破たん、ないし他行に吸収合併という末路をたどった。同様に大学に関しても、人口減少、景気低迷が激しい地方を中心に、国公立を含め、廃校や統合が当然の流れになるだろう。というのも、2018年度以降は、18歳の進学人口が毎年1万5000人ずつ減っていくイス取りゲーム状態になるからだ。

 単学部単学科で学年100人、総学生数400人などという高校程度の規模では、現代の大学として求められる多様な一般教養や高度な専門科目などを教えるだけの教員数や施設・設備を維持できまい。それも、その定員すら満たすことができないのであれば、早晩につぶれる。

 作る方は、自分が退職金をもらうまでのことしか考えていないかもしれないが、入る学生は、そんな掘っ立て小屋のような付け焼き刃の大学に高いカネを注ぎ込み、貴重な若い4年間を費やすのでは、人生として取り返しがつかなくなる。

 今、大学としての基準を満たしているというだけでは大学としてダメであることなど、まともな大学関係者なら当然の認識だ。それ以上に、せまりくる2018年を越え、真理探究の高等教育研究機関として持続可能たるべく、どこも奮進努力している。それも、大学において、教育研究など実はその表向きの一面に過ぎない。将来まで本当に安定した経営が可能かどうか、財務実態や事務人材の優秀性なども、重要な要件となる。

 さて今、進学を考える若者や、その保護者のみなさん。大学のパンフレットなど、どこもどうせ都合の良い話しか書いていない。青年の前途、人生のスタートがかかっているという意味で、大学は、金額以上にはるかに高い買い物だ。人の話をうのみにせず、経営体質(左右偏向や借金頼みではないか)や教育陣容(今の肩書よりこれまでの経歴、名義貸し以上の教育実態があるか)など、よくよく自分で再チェックしよう。(純丘曜彰)

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