「復興という状況にはまだない」――陸前高田市長が語る被災地の現状(2/4 ページ)

» 2013年01月26日 13時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

戸羽 被災した時の首相は菅直人さんで、菅さんにもいろいろと話をしましたが、正直言ってほとんどやる気がなかったですね。電話で何度もお話ししましたし、陸前高田市にも来ていただきましたが、彼は何の知識もなかったと私は今でも思っています。その後、野田佳彦さんになりましたが、私は民主党政権は決められない、変えられない政権であったと言わざるをえないと思います。

 被災地を見に来ていただいて、被災者である我々がいろんな要望をしても、通常のルールを緊急時のルールと取り替えることができなかった。それを決断できなかったことが復興を遅らせた原因だろうと思っていて、残念ながら当時の民主党には本当にがっかりさせられたと言わざるをえないです。

 日本の政治家は、政治システムそのものがそうなのかもしれませんが、例えば菅さんは東日本大震災が起こった時点で首相でしたが、途中で辞めていますよね。こんなこと多分ありえないと私は思います。どこかの段階にいくまでは首相として当然責任を果たすべきだったと私は思うのですが、彼は途中で辞めて、その後、お遍路さんに行っているわけです。私たち被災者からしたら、「何を考えているんだ」「(議員)バッジ外せ」と言いたいわけです。

 その後になった方々も結局は、何かをしでかした時、日本人の政治家のケジメの付け方というのはそのポジションを辞めれば責任がなくなるとなっているわけです。でも、その人が辞めたことで被災地に何かいいことがあるかというと、何もないんですね。だから、私はまずそのシステムを変えないと、日本の危機管理は良くなっていかないだろうと、強く憤慨しています。

 被災してから、復興庁ができました。これは学校の関係であれば文部科学省、がれきの関係であれば環境省と部署が分かれているので、それは大変だろうということで被災地の自治体からの窓口を1つにしましょうということでできたわけです。しかし、復興庁ができて何か便利になったことがあるかというと何もありません。これまで通り、学校のことは文部科学省に、がれきのことは環境省に、そして合わせて復興庁にも話をしなければいけない。今のところは、1つプロセスが増えたというだけの感じがしています。

復興庁公式Webサイト

 これまでの民主党政権の悪口を言っても前に進まないので、今、安倍晋三内閣が発足した中で、私たちはしっかりとこれまでの課題を新しい政権にぶつけて、システムを変えていただかなければどうにもならないと思っています。

 先日、自民党青年局の小泉進次郎さんを始めとした若手議員たちに陸前高田市においでいただいて、いろんな要望をさせていただきましたし、根本匠復興大臣にもおいでいただいて、いろんな話をさせていただきました。そういう意味では、私たちは「これまでよりも良い環境になるのではないか」と期待しているところです。

 経済の話もそうですが、今、何となく日本に明るい兆しが見えてきたのではないかという雰囲気だけはあります。一方で、この安倍内閣でどうにもならなかった時、経済のことも復興のこともどうにもならなかった時に日本がどうなってしまうんだろうかという懸念も持っています。

 最終的には、政治家ひとりひとりのやる気がどのように発揮されるかだと私は思っています。今回の安倍内閣の布陣を見ると、例えば岩手県の津波被災地で選出された鈴木俊一さんが外務副大臣になっていて、宮城県気仙沼市で選出された小野寺五典さん、この人もずっと津波被害について頑張ってこられた方ですが防衛大臣になられました。

 防衛や外務は確かに大事な分野ですが、被災地のことを一番よく分かっている人たちが、なぜこのタイミングで外務副大臣になったり、防衛大臣になったりするのか。そこはやはり政治家が自分の勲章と被災地の復興を天秤にかけた時、どうしても自分の勲章の方にいってしまったのではないかということで、私にはその本気度みたいなところで疑問を持たざるをえません。非常に残念なことだと思っています。

 通訳を介してお話しするとどうしても話す内容が半分になってしまうため、時間があまりないので、安倍政権には現状では期待をしているということで、ぜひ前に進めていただきたいと思っています。最後に、私たち陸前高田市の目指す町を少しだけお話しさせていただきたいと思います。

 私が英語を喋れればいいのですが、実は私も若い時に少し米国フロリダ州のタンパに行っていて、当時は片言英語を喋れたのですが、なかなか今、英語を話す機会そのものがなくて、みなさんに話せるような内容も能力も持っていません。ただ、私はその時に米国で感じたものをそのまま被災地に持ってきたいと思っています。

 米国の方々は大変陽気で、例えば高齢者の夫婦でもおそろいの服を着て、手をつないで散歩しているような状況があります。また、障害を持っている方々が自分の意思で街に出る、買い物に行く、お酒を飲みに行く、そういう楽しみをきちんと生活の中に取り入れるということができる米国はすごい国だなと、私は行った時に感じました。

 30年近く前の話なので、当時の日本には障害者用駐車場もありませんでした。でも、米国に行けばあった。しかもゴルフ場に行っても、ボウリング場に行ってもあったわけです。何であるんだろうと思ったら、車いすでもゴルフをする人もいるし、ボウリングをする人もいるんです。でも、日本の状況を見れば、障害を持っている方々が自分たちの意思で、あるいは堂々とできるかと言ったら変ですが、なかなかそういう環境にないことは一目瞭然です。

 陸前高田市は市街地そのものがなくなってしまったので、そば屋も寿司屋も床屋も本屋も全部これからひとつひとつ作っていくわけです。だとするならば、市が補助金を出すなりして、車いすの方が来てもウエルカムですよ、目の見えない方が来てもウエルカムですよ、耳の聞こえない方は話ができないかもしれないので筆談ボードを置いてください、とする。すべてのお店がそういう風にしてくれたら、あるいは我々行政が道路でも何でもそうですが、作るものに対して配慮したら街全体がそういう優しい街になります。

 私は市民のみなさんに、「ノーマライゼーション※という言葉を必要としない街にしましょう」と言っています。ノーマライゼーションという言葉がある以上、これは差別だろうと。私は陸前高田市をそういう街にすることによって、世界のみなさんにも「陸前高田市、頑張っているな。優しい街だな」と認識していただけるような街を作っていきたいと思っています。

※ノーマライゼーション……障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。
「陸前高田市は市街地そのものがなくなってしまった」という言葉が誇張でないことは、現地に行くとよく分かる。震災から1年半以上経ち、がれきの山は大分片付いた。でも本当に「なにもない」からだ(2012年11月、撮影:吉岡綾乃)

 私の人生のミッションは2つあると思っています。1つは陸前高田市をすばらしい町として復活させること、そしてもう1つは2人の息子をしっかりと育てることと思っています。必ずすばらしい街として陸前高田市を復活させたいと思っていますので、いつの日かみなさんにぜひ陸前高田市を訪れていただいて、その時にはみなさんを笑顔でお迎えできるよう、しっかりと頑張っていきたいと思っていますので、これからもぜひ応援をよろしくお願いしたいと思います。

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