“メディアスクラム”はなかったのか――アルジェリアでの人質事件を振り返る相場英雄の時事日想(2/3 ページ)

» 2013年01月31日 08時02分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

 冒頭に、私自身の苦い記憶を記した。ニューヨークの同時多発テロだけでなく、2年前の東日本大震災の発生直後も私は同じような場面に遭遇した。家族の安否を気遣う家庭に電話を入れる、あるいは対面するのは、相当に慎重なスタンスで臨まなければならない。

 もちろん、取材を受けたくないと言われれば、引き下がる。時間を置いたあとで、取材させていただけそうだと感じれば、手紙やメールを通じて相手の心情を推し量りながら距離を縮めさせてもらうといったように、慎重にも慎重な対応が必要だと私自身は考えている。

 翻って、今般の人質事件の場合はどうか。プラントを作った日揮という当事者はもちろんのこと、政府も当初被害に遭われた方々の名前を伏せた。遺族の心情を考慮し、過剰な取材をけん制するのが目的だったことは明白だ。

 一方、名前が伏せられたからといって、メディアが取材を自粛するはずもない。仮に私が現在もメディア界に身を置いていたならば、当然のこととして取材を進めている。

 だが、次のステップが問題なのだ。日揮・政府があえて名前を伏せたということは、先に掲げた9.11同時多発テロ、東日本大震災のときと同様に、突発的な事件に接し、遺族が相当なストレスを抱えている、ということなのだ。ここにメディアスクラムが起きれば、遺族がもたない、ということを意味する。

 もちろん、今回の事件発生以降、遺族に配慮しつつ、慎重に取材を進めてきたメディアは多数存在する。だが、一部の新聞、テレビは「故人の無念さを広く報せるため」といった意義付を行った上で、実名報道に踏み切った。

 この間、強引な取材が問題視される場面が多々あったのは、ネット上のニュースメディアなどで知れ渡った。

 「他のメディアが報じたから、ウチもやる」という報道側の勝手なスタンスが、読者や視聴者に見透かされてしまったのだ。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.