十数年にわたる記者時代、同様のケースには何度も遭遇した。「誤報だ」と難癖をつける向きに共通していたのは、都合の良いときだけメディアを使い、自分に分が悪い内容だとすぐにクレームをつける、あるいは広告引き揚げをちらつかせるなど、プレッシャーをかけてくるという点だ。メディアを宣伝のツールとしか考えていない、と言い換えることもできる。逆に言えば、メディア対策の稚拙さを反映している形だ。
先の慰安婦問題を巡る橋下市長発言でも、私には同じような構図が透けて見えてくるのだ。市長は一部新聞の記者を囲み取材の場で強く批判した上で、恒例となっていた囲みを辞めると一方的に宣言したが、すぐにこの方針を撤回した。メディアを使い、自説を広く伝えるという市長の戦略が使えなくなることを恐れたのでは、と私はみる。
橋下市長がさまざまなメディアの記事に対し、「誤報だ!」と怒鳴るたび、私の脳裏には自分勝手で、メディアを広告の延長線上でしかとらえていなかった件の外資系金融機関幹部の顔が浮かぶ。
もちろん、同幹部とはその後ほとんど接触していない。この広報担当者の顔を立てて記者会見の類いにはアリバイ的に出席したが、同金融機関の記事を書く機会は格段に減った。もちろん、ニュースバリューが乏しいと判断したからに他ならないが、個人的に「面倒臭いのはゴメン」との心理が働いたのは事実。それよりも、記者のプライドを著しく傷つけた「誤報呼ばわり」への不信感が払拭できなかったからだ。
記者におべっかを使えば良いとは思わない。だが、自説が通らなかったからと言って、なんでもかんでも「誤報」と主張すると、必ずメディアのしっぺ返しにあうことを、世の政治家、企業のトップはキモに銘じるべきだ。
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