メジャーリーグでMVP級の大活躍――上原浩治はなぜ自らを「雑草」と呼ぶのか?臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(3/5 ページ)

» 2013年10月03日 07時00分 公開
[臼北信行,Business Media 誠]

キューバの151連勝を止め、一気に世界に名乗りを上げた

 こうして雑草男は大学で飛躍的に成長し、エリートを蹴散らす存在になった。大学3年のとき、全日本代表に選出されるとキューバ相手に勝利投手となり、世界最強軍団の連勝を151でストップ。上原浩治の名前は一躍、全国区どころか世界にまで躍り出た。メジャーも注目し始めたのだ。

 最も獲得に熱心だったのはアナハイム・エンゼルス。大学4年の夏、渡米してエンゼルスの本拠地アナハイムで野球を見た上原は、メジャーの魅力にとらわれた。関係者にもてなされ、エンゼルスタジアムのロッカールームを見ると気持ちは大きく入団へ傾いた。

 日本の体育会が持つ上下関係を嫌っていた上原は、大体大野球部の自由な校風と同じ空気があるメジャーの環境にほれ込んだ。アナハイムで住む家まで探し、すべてのベクトルがエンゼルス入団へ指しかかっていたが、この流れに割って入ったのが上原の獲得を熱望した巨人だった。

 よりハイレベルな舞台で投げたい。そして何よりも「自由な環境下であるメジャーのほうが能力を発揮できるのではないか」と考えていた。ところが、周囲の事情は違った。

 「好きなところで投げたいのは分かるが、通用しなかったらどうする? 米国ではやり直しが効かないぞ」「まず日本の巨人でやれることを証明してからメジャーへ行けばいい」――。

 親しい関係者からアドバイスを受けると、次第に先々のことが不安になり「メジャーで必ず成功する」と信じ込んでいた自分の能力にも疑問を持ち始めた。

 悩んでいるときに、父親から誘われた。同行すると、その場にいたのが、当時の巨人監督・長嶋茂雄だった。ルール上ではプロの監督とアマチュア選手の接触は禁止されているが、このような形で「偶然に顔を合わせ、同席した」という状況を用意すれば“抜け道”として確かに問題はない。だが、上原は喜ぶどころか逆に困惑した。父親が巨人ファンであることを知っていただけに「巨人って、そこまでやるのか……」という気持ちが膨らんでしまったのだ。

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