新卒採用も中途採用も複雑になっている本当の理由サカタカツミ「就活・転職のフシギ発見!」(2/3 ページ)

» 2013年12月16日 07時55分 公開
[サカタカツミ,Business Media 誠]

最終面接という言葉の持つ意味が、少し前に変わった?

 この話、実は新卒採用の領域でも、しばらく前から問題になっていました。かつて、新卒採用での最終面接とは、要は顔合わせのようなものであり、役員と雑談っぽい面接をして、一緒に頑張っていきましょうという意思確認のような場でした。いわばセレモニーにすぎず、そこでアセスメントが行われることは、それほど多くなかったのです。同時に、最終面接に進む人数もそれほど多くなかったので、数年前の就活生向けの書籍を見ていると「最終面接まで進んだということは、自分に自信を持ってください。その企業は能力的には問題はない、と判断したのですから」と、アセスメントはそこまでの段階でおこなわれていると説き、最終面接は重要ではあるけれども、むしろそこまでのプロセスを大事に、と書いてあるものが少なくありませんでした。

 しかし、いまや新卒採用の最終面接には、たくさんの人数が進むというケースが増えてきました。その時期の役員たちは、面接で大忙しです。当然、大勢の人がその段階に進んでいるのですから、いままでのように顔合わせや、入社の意思表示と確認といった儀礼的なものではなく、キチンとアセスメントする必要が出てきます。役員が面接するとなれば、人を採用するということについて、経営的観点からの責任は全うできても、現場の意思からは乖離(かいり)してしまう悲劇が後を絶たない、という事態が起こるのです。役員レベルになると、現場の細かいところまで目が行き届くわけがないのですから、当然のこと。しかし意思決定は彼らに委ねられており、いつの間にか、細かいところまですべて関与することが当たり前のようになってしまっているのが、採用の現場なのです。

 こうなると、今度は途中のプロセスがセレモニー化してしまいます。事実、一次や二次の面接担当者に駆り出された、他部署(人事ではない)の従業員は「全部、丸を付けて上げておいた。だって、どうせ最終的には上が決めるでしょうから。彼らの好みで採用すると分かっているのに、途中で自分がジャッジする意味はないよね」とうそぶくケースも多いのですから。心当たりがあるという読者の人も少なくないでしょう。

かかわる誰もが、責任を押し付ける仕組み、回避するプロセス

 この話を別の企業の採用担当部長にしたところ、とても興味深いコメントをしてくれました。要は責任を誰が持つのか、ということだと。

 「プロセスを多段階にするのは、やはりたくさんの人が見た、という言質のようなものが欲しいからです。私たちにも現場の細かいことは完全には分からないので、現場の人間が見たという、確認作業はしておきたい。当然、私たち採用担当者も見ますが、それだけではすべては分からないし、自信を持って採用できない。なので、複数のフィルターを通すことは『保険的な意味合い』からも、とても重要です。役員が最終的に決定するのは、なんといってもそれで責任を取ってもらえますから」

 細かいところまで介入され、意思決定の権限を奪われているにもかかわらず、結果として「そのほうがいいことも多い」というのです。人を採るという行為に対して、企業が慎重になることは有益だとは思います。ミスマッチによる不幸は防いでほしいし、早期離職されてしまっては、コストの観点からいっても最悪ですから。しかし、それと責任を回避したり押し付け合ったりすることは別の話です。

 「でもね、なんでも自分で決めたがる上司がいれば、現場は必然的にそれにあわせるようになります。組織における仕組みとは、理想から出来上がればいいのですが、実際は現状が創り出しているはずですから。事実、部長という名前の仕事の権限って、それほど規模が大きくない企業だと、もうそんなにないですよね。名ばかりという感じだと思います」

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