それは40代前半――出世できなかった人が悔しがる「出世の分かれ目」を見逃すな!サカタカツミ「新しい会社のオキテ」(2/3 ページ)

» 2014年05月12日 05時20分 公開
[サカタカツミ,Business Media 誠]

 そもそも言われたこと、つまり組織から与えられる課題が、若手と呼ばれていた時期から比較して、格段に難易度が上がります。しかも、毎日必死に取り組んでやっと達成できるかどうかのレベル。

 言われたこと以外のことに取り組むどころか、何をすればいいのか考える暇もない。そんな感じの人は少なくないでしょう。

 そんな中、冒頭で紹介した定年間近の男性は、ズバ抜けたパフォーマンスを出して与えられた課題をクリアしていきました。それこそ、全社的に見ても特筆すべきレベルでの課題達成。「この分野における第一人者は自分」と自負する状態になったといいます。

 同時に次のポスト、つまり一つ上の役職を視野に入れ、社内での組織作りや関係性を作る作業にも取り組んだそう。しかし、次の人事異動で与えられたポストは、組織は違えども、今と同じ仕事だったそうです。もうピンと来た人はいるはず。

 そう、その課題を解決する能力を買われて、次も似たような課題を持つ組織へと送り込まれてしまったのです。企業としては当然の措置であることはいうまでもないでしょう。

 課題を完璧に解決してくれる人物を、課題がある場所に送り込むことは、最も確実な課題解決方法なのですから。しかし同時に、送り込まれる人のポストは決まってしまったのも同然。少しでも出世したいと考え、今に最善を尽くした、その結果の悲劇ともいえるのです。

結果として出世したのは、俗にいう「失敗した人」だった

 「当然、与えられた仕事の先を考えて、いろいろな提案をしていました。どうすれば今の状況がもっと良くなるのか。問題を先送りしないで解決していく、そして、その後に続く人たちがもっと良い仕事ができるようにする。自分では広い視野、少なくとも与えられた課題よりも大きな部分をカバーする仕事を心がけていました」

 言われた仕事を完璧にこなしただけでなく、自分を管理している上役になったつもりで日々仕事をして、必要な改善を進めていたのですから、それこそ組織で働く人の鑑(かがみ)のような存在、といっても過言ではないでしょう。

 しかし結果としては、自分の思い描いたキャリアにはならなかった。このエピソードを聞いて、ピンと来た別の話があります。それは、もっと出世できなかった人が、出世した後輩を分析したという、同じく定年間近だという人の話でした。

 「自分は言われたことをこなした。そのポジションに十分に見合う働きをした。求められたことはすべて達成した。けれども、結果的に出世したのは、与えられたポジションで失敗をした後輩だったのです。納得がいかなくて当時はいろいろと考えてみたけれど、イマイチ分かりませんでした」

 与えられた課題をクリアできずに、大失敗をしたけれども、結果として出世した――こういう話は、ビジネス雑誌などでもよく取り上げられています。

 ある種の武勇伝の匂いがしますが、それほど珍しいエピソードでもないのかもしれません。結論として、失敗を恐れてはいけない、チャレンジすることが重要だからとまとめられていますが、その教訓めいた話は間違いだと、出世できずに後悔している人は、次のように話してくれました。

 「失敗したけれども出世した、という人たちの多くは、失敗そのものが、組織、つまり上司が想定していたことよりも大きかったケースだと思います。つまり、上司よりも大きな未来予想図が描けていた、ということです」

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