なるほど、と思えた。世間では「若大将」とネーミングされ、どちらかというと華々しくさわやかなイメージが浸透して熱血路線とは縁がないようにも見える原監督だが、その野球人生は実際のところ波乱万丈。巨人での現役時代、そして引退後にコーチを経て現在に至る監督時代の間、さまざまな苦難が立ちはだかりながら何度も乗り越えてきた。しかしプロ生活より以前に本人が「最も辛かった」と振り返る時期がある。東海大相模高校の野球部へ入部し、チームの監督を務めていた実父・貢氏と“師弟”として接した3年間だ。
我が子だから甘やかしていると思われてしまってはチーム全体の士気に影響すると考え、貢氏は息子の辰徳に対しても他の部員と平等に接した。いや、それ以上に厳しい態度であったと言えるのかもしれない。ミスをすれば、とにかく情け容赦なく叱る。時にはチームメートが囲む輪の中でこれ見よがしに激しく罵倒し、鉄拳制裁を加えることもあった。さらには悶絶する我が子をスパイクで踏み付けたりしたことまであったというから、そこいらのスポ根ドラマも真っ青になるようなレベルだ。
後年、貢氏は当時について周囲に「すべては我が息子を一野球人として心身ともに立派に鍛え上げるため」と振り返っているが、何かと体罰問題で騒がれるようになった現代社会で仮に同じようなことをすればおそらく一大バッシングが起こっていたであろう。しかし、原監督には今でも「あの時の辛さを乗り越えたからこそ、今の自分がある」という信念がある。
殴打に、踏み付け……。実の父親から信じられないような厳しい仕打ちを受けても、後ろ向きになることだけは一切なかった。当時は寮生活だったが、オフシーズンになると辛く苦しい練習から解放されて自宅へ戻る。すると、それまで超厳格だったはずの貢氏が「鬼の指導者」から「優しい父親」に豹変していたという。
「家に戻ってくると親父は野球の話を一切しないんだ。食卓で一緒に座ると『おい、これも食べろよ』と言って笑いながら、目の前に並んだおかずを勧めてくれるんだよ。ああ、なんて温かいんだろうなあと。そういう親父をいつかきっと喜ばせてあげなきゃいけないなと……。高校のときはずっと思っていたよね。その思いがあったからこそ、オレはここまで来ることができた。だから原貢の息子であってオレは幸せだったと思う」
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