塩野: iPhoneに入っている音声認識プログラムの「Siri(シリ)」(※6)を使っている人は、何となく自分の言ったことに答えてくれているような気がすると思います。Siriに英語で「今夜、空いている?」と聞くと、「あなたのためなら、いつでも」と返されるわけですし。この返答は認識であり、Siriはきっと考えているのだろうと人間側は想像するわけです。
松尾: 感覚的にはそうでしょうね。しかし実際は、中にいる小さな人が何かの文字を見ては辞書を引き、お返しする文字を作っているだけです。
塩野: つまり、実は考えてはいないということですか?
松尾: それはSiriの答えを「考えている」と言うかどうかです。「考える」の定義の問題でもありますね。
知的かどうかは往々にして見るほうが思うことで、動物の動きにしても、ハチが巣の周りを探索するようすは非常に賢いように見えます。ただ、ハチは遺伝子に組み込まれている行動をとっているにすぎず、見る側の人間が賢いと思っているだけですよね。九九にしてもそうです。「三三が九」と自然に数字が出てきますが、計算しているわけではない。一連の言葉として覚えていて、計算を代行しています。それが賢いように見えるわけです。
コンピュータの場合も、事例をたくさん覚えさせてどの事例に近いかを予測する。例えば、就活生の受け答えの仕方をデータとして持っていて、その就活生が結果的に使える人材だったかどうかを示した事例がたくさんあれば、過去のデータベースでどれに近いからきっと使える、いやそうではない、と判断できるでしょう。
ある部分はトレーニングを積むことで賢く見せることができますから。こういうときはこう動くというルールをたくさん学習して、だんだん賢くなっていくという要素も、人工知能にとっては重要なところです。
塩野: なるほど。人工知能の「賢さ」とは、多くの事例の中からどれかに近づくことですね。話を聞いていると、人工知能が出てきたおかげで人間も試されている感じがします。
松尾: 人間も賢くなる必要があると思いますし、事例を積み重ねて集計するような仕事は、コンピュータでやったほうが速いし正確ですから、だんだんとコンピュータを使うようになっていくと思います。
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