そして私は、意外なところで間違いだらけのクルマ選びに救われた。フリーライターになって数年目。ある外資系PCメーカーのカタログを書いていたころだ。PCの普及期であり、PCゲームのグラフィックが劇的に進化していた。PCの性能もどんどん更新されて、新製品が1カ月に1台か2台、商戦期には数台が発表されていた。カタログだから褒め言葉が必要。「最新の……」「最高の……」などだ。しかし、あまりにも次々に製品が出ると、褒め言葉も使い回しになる。今なら「ユーザーは過去の製品のカタログなど見ない」と割り切って、同じ言葉でも平気で使うと思う。当時の私はそれができなかった。語彙不足に陥った。言葉が出ない。どれも使い古して陳腐に見える。スランプである。
そんなとき、間違いだらけのクルマ選びを読んだ。そして徳大寺さんの真の力を知った。クルマを褒めるにしても、批判するにしても、徳大寺さんは無数の語彙とテクニックを持っていた。著書に登場する何百ものクルマは、興味のない人の感覚で乱暴に言えば、どれも同じようなもの。タイヤが4つあって、違いは外形が凸型が四角か、ドアの枚数、ハンドルの左右くらいなものである。
それに対して徳大寺さんは、メカニカルな違いだけではなく、文化、歴史、ユーザー像、設計者の気持ちまで思いやるなど、ありとあらゆる手段で書き分けた。そして、個人を責める文言はなかった。開発責任者を褒め、批判は会社の姿勢や組織のあり方へ向けた。
これも小じゃれた言い方をすれば、徳大寺有恒の「徳」の成せる技だ。クルマに対する考え方はともかくとして、そのテクニックはライターとして参考になった。私は6年間にわたり大学で講師を務めさせていただいた。学生には毎年「間違いだらけのクルマ選びを読め、語彙の参考書である」と伝えた。古い版でも構わないから、とにかく一冊読み通せと。
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