スズキが新工場を作る意味――インド自動車戦争が始まる池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/3 ページ)

» 2015年02月13日 09時30分 公開
[池田直渡Business Media 誠]
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サプライヤーの品質問題と労働争議

 2000年代に入るとタタ財閥は新時代の国民車構想として10万ルピー(約20万円)カー「ナノ」の構想を打ち出した。

 それまでインドでもっとも安いクルマは、マルチ・スズキのマルチ800でおよそ20万ルピーだったが、背景にはいまだに自動車が買えない中間層の存在がある。前述のようにクルマを買うには20万ルピーが必要だ。一方でバイクやスクーターなら5万ルピーもあれば購入できる。中間層の年収は20万ルピーと言われ、彼らの年収相当のマルチ800はまだまだ高価な商品だった。

 バイクとクルマ、その間を埋める乗りものとして、雨露がしのげて、家族で乗れるミニマム・トランスポーターに大きな商機を見出したのはタタ財閥の総帥ラタン・タタだ。ナノ・プロジェクトは、クルマの最低価格を一気に半分にする無茶な構想だった。タタはこの無理がたたって後に苦境に陥るのだが、それまでインドの自動車マーケットで揺るがぬ王座を守っていたスズキにとって、これは予想外の反撃だった。

 スズキは30年かけて築いたアドバンテージをキープしており、現在でもシェアは40%以上を保っている。だが、決して安閑としていられる状況で無くなりつつあるのも事実だ。各国自動車メーカーに加え、民族系メーカーも含めて一斉にスズキの牙城を脅かしに掛っているからだ。

 しかし、インド進出が夢のブルーオーシャンかと言えばそんなに甘いはずもない。自動車メーカーが進出するためには無数の部品供給を受けなければならないが、現地企業の部品品質はまだまだクルマに使えるレベルに達していない。鉄の組成のコントロールすらできず、バラツキが多い。サスペンションのばね定数(ばねの硬さ)すら、公差に入る様に作れない。そのため、スズキはその部品の多くを日系企業に発注して来た。

 そういうサプライヤーの数はまだまだ限られている上、インド人は労働者として権利意識が強い。そのため労組が非常に強く、労働争議が起きやすい。争議になると裁判は長期間かかるのが当たり前の上、過去の判例では労働者有利の判決が出やすい。そのハンドリングが難しい。インドで30年の経験を持ち、インドの発展に尽くしたことで鈴木修会長が叙勲されているようなスズキですら、数年前に工場をロックアウトされるような状況に追い込まれているのだ。

 また労働者の企業へのロイヤリティが低く、仕事を覚えたり、研修でスキルが上がると、他社へ平気で移籍してしまう。そうした環境下で教育システムをどう効率的に構築するかも課題だ。

 さらにインドは連邦共和制なので、州が異なると法律が違い、さまざまな点でエリアごとに繊細な対応が必要になる。さらに部品が州境を越えると、課税が発生する。当然、課税の不利を避けるため、州内のメーカー周辺にサプライヤーがひしめくことになるので、局部的に地価が高騰し、単価を押し上げることになる。

 こうした諸問題への対処をじっくり時間をかけてやってきたスズキは、新参メーカーに比べてインドでの経営ノウハウについて大きくリードしていると考えられる。そのインドを知り尽くしたスズキが腰を上げたタイミングを、筆者は重視しているのだ。

なぜスズキはこのタイミングで新工場を設立したのか?

 さて、そのスズキが今回新工場を設立したのは、なぜなのか? 普通に考えれば、30年以上に渡って信頼を築いてきたマルチ・スズキ社が主体となって新工場を設立するのが筋だろう。実際、マルチ・スズキ社はすでにグルガオンの第2、第3工場に加えてマネサールにも工場を新設し年産100万台体制を築き上げているのだ。マルチ・スズキで生産から販売まで一貫したコントロールは十分に可能なはずだ。

 しかしスズキは、今回グジャラードに「スズキモーター・グジャラード・プライベート社」を立ち上げた。理由の一つは、スズキがマルチ・スズキの株式を56.21%しか持っていないことにありそうだ。他メーカーとのシェア争いで先手を打っていくには、いかに早く意思決定をし、投資を行うかが重要である。仮にスズキがマルチ・スズキに対して自社の都合で巨額の増資を行えば、他の株主の議決権は否応なく薄まってしまう。それではこれまでスズキがインドで積み上げて来た信頼を失いかねない。

 例えば、今回のグジャラード新工場の投資額は約500億円にも及ぶ巨大なものだ。この投資を機を逸することなく行うためには、スズキ自身が即断即決できる100%子会社を立ち上げた方が有利だと言う判断が働いたのだと筆者は考えている。

 だがそれ以前の問題として、最も根幹にあるのは、他社との競争の激化だ。スズキは自動車メーカーとして、インド国内最大の販売店網を誇るが、そのアドバンテージを維持するために、さらなる販売店網拡大を推し進めていかなくてはならない。なにしろインドは大きい。アドバンテージにあぐらをかいて油断していれば、地域によっては他社に先手を取られる可能性が高い。

 そこでスズキは、マルチ・スズキの資本を当面販売網の拡充に集中的に回すことにした。しかし成長著しいインドマーケットを考えれば、生産台数の拡大も放置できない問題である。そこで日本のスズキ本社が100%の出資を行い、スズキモーター・グジャラード・プライベート社を設立することにした。これによってマルチ・スズキは二正面作戦を敢行する必要がなくなり、販売網の拡充に重点的にリソースを割くことができるようになるわけだ。

 これらの流れを考え合わせると、インドマーケットへの期待値が高まり、競合他社からの投資が膨れ上がる中で、インドに深く根を下ろしたスズキと言えども従来の延長線では戦線が維持できなくなったという図式が見えてくる。

スズキ「コンセプト・シアズ」。中国で発表した本格的セダン「オーセンティックス」のインド版として、2014年のインド・オートエクスポに参考出品された。新興国としては高級なこうしたモデルが出品されることから、市場の一部はすでにミニマムトランスポーター一色でないことが見てとれる

 インドはすでに300万台マーケットに成長した。「インドを制するものは世界を制する」――十数年前、全く同じ話を中国マーケットで聞いた。後で振り返った時に、「それほど美味い話じゃなかった」という結論に達することもあるかもしれない。それでもいま、世界の自動車メーカーが凝視している先に、インドの巨大マーケットがあることは確かなのだ。

2014年のインド・オートエクスポで新型小型車「セレリオ」を発表した。1.0リッターの低燃費エンジンに加え、AGS(オートギヤシフト)と呼ばれるロボット変速のオートマチックトランスミッションが搭載される。この変速機は従来のマニュアルトランスミッションのクラッチとシフト操作を、人に代わって油圧アクチュエーターで操作するもので、新興国でもメンテナンスが可能な点が従来のオートマと異なる
マネサールのパワートレイン工場。上述のセレリオに搭載される新型トランスミッション。AGSはこの新工場で生産される。

筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)

 1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。

 現在は編集プロダクション、グラニテを設立し、自動車評論家沢村慎太朗と森慶太による自動車メールマガジン「モータージャーナル」を運営中。

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