カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で、黒沢清監督(※1)の作品『岸辺の旅』が監督賞を受賞し話題となっています。
みなさんは黒沢清監督作品のようなカンヌ国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭で賞を獲ったアート映画が、どのような場所で上映されてきたかご存じでしょうか。実は日本の80年代以降のアート映画を支えてきたのは、主にミニシアターと言われる独自の映画プログラムを組む劇場や過去の名作を上映する名画座です。
いま、これらの劇場は危機にひんし、映画を上映する環境も大きく変化しています。そうした潮流のなか独自の取り組みをし、東京の映画ファンの中で大変な注目を集めている映画団体があります。
今回は、その映画団体「IndieTokyo」の主宰者で映画評論家の大寺眞輔氏に、現在のアート映画の危機的状況とIndieTokyoの取り組みについて話を伺います。
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。
――まずは、大寺先生が映画批評家としてどのようなバックボーンを持つのか聞かせてください
大寺: 僕は大阪出身で早稲田大学演劇学科の修士課程を卒業しています。
大学時代にフランスの高名な映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の日本版『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』を立ちあげた映画批評家の梅本洋一さんや稲川方人さんと知り合い、その流れで自然と『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』にも批評を書くようになったのが映画批評家としての始まりです。
――2004年からはアンスティチュ・フランセ横浜(※2)でシネクラブを主宰されていますね
大寺: そのころ、日仏の文化交流を支援するフランス政府公式の機関アンスティチュ・フランセの人たちの間でシネクラブを立ちあげたいという話が持ち上がりました。でも、アンスティチュ・フランセの人たちだけではどうやってシネクラブを立ち上げたらいいか分からないから映画批評家の人に任せたいということで僕に声がかかったんです。
――シネクラブとはどのようなものか詳しく教えてください
大寺: シネクラブでは映画の上映をしたあとにトークがつきます。なぜトークを付けるのかというと映画はことばを欲しているからだと思うんですよ。
映画というのは一つの世界観を表現したもの。その作品世界の中で私たちはいろんな体験をして楽しみを得ることができるけれど、「その世界に入ったあとに出てきて終わり」ではないのが映画なのだと思うんです。
映画を見ると映画の世界について人と語りたくなる。映画というのは映画批評と二人三脚でやってきた部分があって、私たちは映画を見たあとに映画批評を必要とする。批評があることによって、私たちは映画を2倍も3倍も楽しく見られます。それを実現する場所がシネクラブです。
――横浜のシネクラブでは、具体的にどのような活動をされていましたか
大寺: 僕が主宰するシネクラブは完全にシネフィル(映画狂)向きのものでした。
第1回で上映したのは、フランスの女性映画監督クレール・ドゥニ(※3)の『ネネットとボニ』という映画です。そのときは『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』で同じく寄稿者だった青山真治監督(※4)にゲストとして来てもらいました。5月29日にこの映画をまた東京の老舗名画座の新文芸坐で上映します。
最初は横浜日仏学院の教室の中で、次は横浜美術館の講堂で開催しました。横浜美術館の講堂はすごく大きくて300人くらい入るところだったのですが、そこに20人しか来ないということもあって、そのときは本当に悲しかったですね。
初期は本当に集客に苦労しました。いまは横浜の馬車道にある東京藝術大学大学院映像研究科の映写室を借りて開催しています。
――どうしてそのような活動を始めようと思ったのですか
大寺: ごく一部の映画好きのために、ジャック・リヴェット(※5)のような世界的な映画監督の作品や日本に紹介されていない作品を紹介したかったんです。バブル以降ミニシアター文化が衰退していったけれど、シネクラブを始めた当初はまだ多くのミニシアターがあって安泰だったから、そこではなくもっとコアな層に向けて映画について語ろうと考えていました。
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