男のファッションは生きざま:郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)
スーツと寝間着の中間、ビジネスカジュアルの服を持っていないことに気付いた私。その背景には、男性社会特有の“ファッション無監視社会”があったのだ。
誰がために装う?
女は「男性のためにおしゃれしてるんじゃないわ。自分のためにするの」と言う。端的な例が胸元チラリやミニスカート。男はそれを「男性目線を集めたいからだ」と思う。そして実際、私の目線もそこに集まってしまう。集めすぎて大きな誤解を招き、事件が発生することもなきにしもあらず……。それはそれとして、男には信じがたいのだが、胸元セクシーも脚線美も、実は同性を意識してのファッションらしい。
「あたしはきちんと自分磨きしているわ」。そんな美の一定ラインに到達している自分を、同性にアピールするためのファッションなのだ。胸元も脚元も男へのサービスはあるだろうが、それはあくまでオマケ。
またファッション好きのMEN'S NON-NOクンたちも同じ。彼らも「女のためにファッションを磨いている」とは言わない。「自分磨きのため」という。男性社会は“ファッション無監視社会”。自分を監視するのは自分しかいないから、彼らはナルシストということになる。
男のファッションは生きざまと切り離せない
とはいえナルシストにならざるを得ないのは、男なら皆同じ。他人の目ではなく自分の目が反映されるわけだから、男の装いはその人の生きざまと切り離せなくなる。スーツもビジカジもtooカジュアルも、それぞれの生きざまが表れる。
ファッションで生きざまを一番カッコよく体現したのが、戦後日本の独立に尽くした白洲次郎氏だと思う。白いシャツにジーンズ姿がさまになる。素で純でノーブルな彼の生きざまがカッコイイ。
男は仕事が人生。ファッションも仕事を通じて“自分地帯”が創られる。どんな仕事をしたいか、するかでファッションが磨かれ、仕事着に個性が表れる。
私のビブラムソールのトレッキングシューズ、実は何年も前に買っていたのだが、ビジネススーツと寝間着に埋もれて履く機会がなかった。“山あり谷あり”の生きざまを目指して、これとジーンズでちょいと白洲氏にあやかりたい。
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