“請求書的”祈りから“領収書的”祈りへ(3/3 ページ)
本当の祈りは「他からこうしてほしい」とおねだりすることを超え、「自分が見出した意味のもとに何があってもこうするんだ」という覚悟である。祈りがそうした覚悟にまで昇華した時、その人は嬉々として、たくましく動ける。
祈りの3段階
宗教学者の岸本英夫氏は『宗教学』の中で、信仰への姿勢を3段階に分けています。それは「請願態」「希求態」「諦住態」です。
1番目の請願態とは、先の請求書的祈りと同じく、神や仏、天、運といったものに何かご利益を期待する信仰の姿勢です。2番目の希求態は、信仰の根本となる聖典に示されているような生活を実践して、真理を得ようとする求道の姿勢です。そして3番目の諦住態とは、信仰上の究極的価値を見出し、その次元にどっしりと心を置きながら、普段の生活を営んでいく姿勢を言います。
振り返ると私たちは、自分たちの祈りがついつい請求書的になっていることに気が付かないでしょうか──。
「もっと給料を上げてほしい(これだけ頑張ってんだから)」
「もっと自分を評価してほしい(この会社の評価システムはおかしいんじゃないか)」
「上司が変わればいいのに(まったくもう、やりにくくてしょうがない)」
「宝くじが当たりますように(会社を辞めてもいいように)」などなど。
こうした祈りは、自分の中にエネルギーを湧かせることはなく、むしろエネルギーを消耗させるものです。祈りの質を本来のものに戻していかなければなりません。信仰も仕事も1つの道と考えれば、大事な姿勢というのは2番目の希求態と3番目の諦住態です。
その2つのエッセンスをひと言で表現すれば「覚悟」です。本当の祈りとは、「他からこうしてほしい」とおねだりすることを超えて、「自分は自分が見出した意味のもとに何があってもこうするんだ」という覚悟であるべきです。覚悟が堅苦しければ、「誓願」といってもいいでしょう。まず誓いがあって、そのもとでの願いです。祈りがそうした覚悟や誓願にまで昇華した時、恐らくその人は嬉々として、たくましく、いかなる困難が伴ったとしても強く動けるはずです。
私は、祈りの理想形を「ろうそく(蝋燭)モデル」としてとらえています。
つまり、ろうそくのろうの部分が「ありがとう」という感謝の念。ろうそくの芯の部分が、「自分の覚悟」。そして、そのろうと芯を燃やして「具体的行動・仕事」という炎を明々と灯す。炎がつくる明かりは世の中を照らすのみならず、自分が進んでいく前をも照らす。こうしたろうそくが1本2本……何百万本、何千万本と増えていくことが、世の中が本当に強く動いていくことだと思います。
「ありがとう」と「覚悟」から生まれる祈り──私はまずここを振り返ることから1年をスタートさせたいと思います。(村山昇)
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