“目標疲れ”時代に、結果とプロセスの関係をどう考えるべきか(4/4 ページ)
ますます短期的な成果が求められるビジネス現場にあって、「結果を出すこととプロセスを作ることのどちらが大事か?」はとても悩ましげな問題です。このテーマを深く考えることは、結局、「働くとは何か?」「仕事の幸福とは何か?」につながっていきます。
幸福とは意味に向かって坂を上ること
結果や成功を語る時、そこに忘れてはならないワードは「目的」です(目的は“意味”と置き換えてもいい)。何のための結果を追い求めているのか、何のための成功を欲しがっているのか──それが何か大きな意味につながっているなら、やがて結果も成功も心の中心から外れていくでしょう。代わって、プロセスに身を置くことが幸福感として真ん中にすわってきます。
ですがその時、仕事がまったくラクになるかといえば、そうではないでしょう。本当にやりがいのある仕事はやはり「しんどい」んです。挑戦であり、戦いですから。「けど楽しい」。これが事実です。幸福というのは、決して安穏として夢見心地にひたる状態ではありません。
「幸福とは、自分が見出した意味に向かって坂を上っている状態」──これが私の考える幸福の定義です。
フランスの哲学者アランが『幸福論』(白井健三郎訳、集英社)の中で、「登山家は、自分自身の力を発揮して、それを自分に証明する。かれは自分の力を感ずると同時に考慮する。この高級な喜びが雪景色をいっそう美しいものにする。だが、名高い山頂まで電車で運ばれた人は、この登山家と同じ太陽を見ることはできない。……人は意欲し創造することによってのみ幸福である」と言っている通りです。そして、そうした状態でやっている仕事が、実は「天職」なんだろうと思います。
「結果とプロセス」どちらが大事か、という問いに対する私の結論は──「大いなる意味を見つけ、そこにつながる大いなるプロセスをひとつひとつ楽しもう!」です。
はて、この時、結果はどこにいったのでしょう? ……大いなる意味の下で働く時、結果を出すことは、大いなるプロセスの中に溶け込んでいきます。あるいは、「結果が出た/出なかった」に一喜一憂せず泰然自若と構えられるようになります。
これを日々溌剌と実践できる個人がひとりひとり増えていくことによってこそ、溌剌とした組織、快活で健やかな社会ができあがるのだと思います。(村山昇)
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