「竜飛海底駅」が教えてくれた、新たな“商機”:杉山淳一の時事日想(2/5 ページ)
JR北海道の津軽海峡線「竜飛海底駅」の公開が終了した。見学できるのはツアー客のみだったが、来年の3月31日には駅自体も廃止となる。しかし、この施設の本来の役目は非常口である。駅としての役割のほうが「例外的処置」だったのだ。
竜飛海底駅、四半世紀の歴史
竜飛海底駅は1988年3月に青函トンネルとともに開業した。世界初の「海より深い駅」の誕生だ。この駅には改札口もなければきっぷ売り場もない。地上からフラリとやってきて列車に乗るという用途は不可能。当初から見学ツアーの利用者に限定して設置された駅だった。2013年11月に事実上その役目を終える。25年間にわたり、青函トンネルの偉業を紹介する役割に徹した。
竜飛海底駅の開業と同時に、北海道側では吉岡海底駅が開業しており、こちらは竜飛海底駅よりも先の2006年に定期列車の停車扱いが終わり、以降は臨時駅となっていた。その後はツアー向けに数回の臨時停車があっただけで、今年は3月に停車扱いがあっただけ。竜飛海底駅と同様の定期列車によるツアーは復活しなかった。そして、竜飛海底駅と同じく、2014年3月で正式に廃止となる。
竜飛海底駅の見学ツアー終了と、2014年3月の駅の廃止。その理由は、北海道新幹線の工事用施設として使うためと説明されている。では、工事が終わったら復活するかといえば、残念ながらその予定はない。ただし、新幹線列車が停車する時はあるかもしれない。いや、あってはならぬ。なぜなら、列車が停車するとは、緊急事態を意味する。北海道新幹線開業後、この2カ所の「元駅だった施設」は非常口として機能するからだ。
竜飛海底駅と吉岡海底駅は、もともと青函トンネルの非常口として設置された。青函トンネル計画時からの呼び方は「竜飛定点」「吉岡定点」だ。両駅は「非常口」として作られ、25年間の見学者窓口という「副業」期間中も非常口の役割は持っていた。しかし、その本来の役割で使われることは一度もなく、穏やかに見学者への便宜を図ってきた。「本来の目的では使われなかった」。これが両駅の最大の功績といえる。
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