利用者激怒、信頼失墜……交通機関のストライキに効果はあるのか?:杉山淳一の時事日想(4/6 ページ)
3月20日、関東バスと相模鉄道・相鉄バスの3社がストライキを決行した。法律に基づいた行動だが、利用者からは歓迎されず、現場の労働者自身が批判の矢面に立たされている。労働争議の手法は長い間変わっていないが、そろそろ新たな戦術が必要ではないか。
国鉄解体の理由の1つはストライキ
「スト権スト」以前から、旅客輸送でも通勤客の怒りが爆発していた。有名な事件は1973年3月13日の「上尾事件」だ。ラッシュで人があふれかえり、不満を爆発させた通勤客が駅員と小競り合いを起こし、やがて暴徒と化して電車や駅施設を破壊した。
当時、国鉄職員はスト権が認められていないため、待遇改善の要求のため「遵法(じゅんぽう)闘争」という戦術をとっていた。ホームに人が多いから安全のために駅の手前で停止するとか、線路に鳥がいるから最徐行、あるいは停止するとか、安全のために運転士に認められている行為を逆手にとって、過剰な遅延を発生される戦術だった。また、赤字の国鉄は通勤電車の投入が間に合わず、扉の数が少ない急行電車を通勤時間帯に走らせた。こうした行為に対する利用者の不満が、ついに暴動まで発展してしまった。
この事件に対し国鉄の労使は謝罪も対策もせず、翌月も遵法闘争が再開された。利用者たちの怒りがさらに沸騰し、4月24日には都内各駅の暴動にまで発展した。こうした事件は国鉄の他の問題と合わせて政治問題になり、最終的には国鉄解体、分割民営化、JRグループへ再編という流れを引き起こした。
世界各国でデモが暴動に発展し、それに比べて日本人はおとなしいという論調がある。しかし日本にも暴動の時代はあった。いやむしろ、昔も今も日本人は許容限度が少し高いだけで、上尾事件や首都圏各駅の暴動は、そんな日本人を暴徒化させるほどの事件だったといえる。1970年代、高度経済成長に石油ショックという冷や水を浴びせられ、活気と不安のなかで日本人は怒っていた。労働者も利用者も怒り、声も手も挙げていた。
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