「まるで殺人のようだ」――セウォル号事故に対するパク大統領の“失言”:藤田正美の時事日想
「セウォル号」沈没事故で韓国政府の支持率が下がり、首相が辞意を表明するまでの事態になっている。そんななか、パク・クネ大統領が船長ら乗組員に対して「殺人のようだ」と発言したが、これは政治家としての資質を疑うものだ。
著者プロフィール:藤田正美
「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”」
1つの大惨事が、政府にとっても“大惨事”になるのはよくあることだ。その例が今まさに韓国で進行している。乗客乗員473人を乗せた旅客船セウォル号の沈没事故である。4月16日に事故が発生して以来、政府の対応が後手後手に回ったうえ、発表内容は二転三転。さらに救助活動もなかなか進まない。
沈没したとき船内にいたであろう生存者は、今のところまったく発見できず、いまだに100人を超える行方不明者がいる。とうとうチョン・ホンウォン首相が政府の不手際を一身に背負って辞意を表明した。
また、事故の対応に関連してパク・クネ大統領の支持率も下がっている。こうした劣勢を一気にはね返そうとしたのかどうかは分からないが、どうにも気になることがある。それはパク大統領の発言だ。船長をはじめ、多くの乗組員が乗客の誘導をそっちのけにして脱出したことについて、大統領はまるで「殺人のようだ」と言ったのである。
乗客にはその場から動かないよう指示し、自分たちは先に逃げたというのでは、逮捕された乗組員も申し開きできまい。事故発生の検証が済んでいなくとも、船長たちの「有罪」は確定であるかのように見える。しかし、メディアや一般の人々が乗組員を非難するのと、一国の大統領が「殺人のようだ」というのでは天と地ほどの開きがある。
支持率低下を食い止めるための発言か?
本来、大統領が話すべきことは、亡くなった人々への哀悼と行方不明者の捜索に全力を挙げることや家族への励まし、そしてこのような悲惨な事故を起こさないよう、徹底的な原因究明を命じることだ。事故の検証も過失の有無も、そして刑事罰に問えるかどうかも分かっておらず、もちろん裁判で有罪になるかどうかも分からない段階で、“殺人”という強い言葉で非難することではない。
パク大統領が支持率の低下を押し止めようとしてこの発言をしたのなら、それはポピュリズムそのものだと思う。大衆が受け入れやすい言葉で、他人を攻撃するのがポピュリスト(大衆迎合)がよく使う手段だ。2008年のリーマンショックで槍玉に挙げられたのは、高給を取っていた投資銀行の幹部だった。議会でつるし上げられる姿は、気の毒だと思ったが、一方で溜飲を下げた人もいただろう。
しかし、リーマンショックは一部の投資銀行家が「強欲」だったから発生した、というわけではない。そもそもは米国の中央銀行であるFRB(連邦準備理事会)が長期にわたる金融緩和を実行し、住宅バブルが発生したところに問題があった。投資銀行家の所得の大きさばかりに目を奪われると、社会のどこに問題があるかという根本的な問題を見つけられなくなる。
パク大統領の“殺人”発言は、ポピュリズムというだけではない。聞き方によっては、近代社会における基本的人権を無視した発言でもある。近代社会では、裁判で有罪になるまでは無罪という「推定無罪」が原則だ。この人権を踏みにじるものとも言える。
今回の海難事故では、韓国メディアが自ら「韓国は三流国だ」などとする記事も書いている。もちろん、これは事故後の対応があまりにもまずかったからだ。しかし、このパク発言を問題にした記事は欧米メディアも含めてあまり見たことがない。明らかに船長たちに落ち度があるように見えるから、メディアも有罪と決めてかかっているようだ。それでもあえて言う。メディアが言うのと、大統領が言うのでは、当然のことながら言葉の重みが違う。
大統領が自身への反発をそらそうとして攻撃対象を明示したのであれば、それは政治家としては最低の行為である。もしそうではなく、自分が本当にそう思ったと言うのなら、それはそれで一国の大統領としていかがなものかと思う。日本は、そういうパク大統領とこれから付き合っていく覚悟はできているだろうか。
関連記事
- 窪田順生の時事日想:「セウォル号事故」で韓国が日本の支援を断ったのは「反日」だからではない
「セウォル号」沈没事故で、韓国政府が日本からの支援を断った。誰がみても「支援を受けたほうがよかった」状況なのに、なぜ韓国政府は受け入れなかったのか。それは「反日だから」という理由ではなく……。 - 混迷極まるウクライナ、「欧米VS. ロシア」の代理戦争は起こるのか
クリミアから始まった独立活動は、ウクライナ東部の州を巻き込み始めた。民兵による行政庁舎の占拠は、一体何を意味するのか。そして今後、ウクライナ危機がどう展開するか藤田氏が解説する。 - 実際、中国経済はどれくらいヤバいのか?
中国経済が傾き、世界経済に影響を与えることになるかどうか。藤田氏が2人の専門家に聞いたところ、まったく逆の見解を示したという。それは何故か。そして両者の見解とは。 - 日中間の戦争が“絶対にない”とは言い切れない理由
中国へ“挑発的”な発言をしているのは安倍首相だけではなく、首相周辺でもそうした発言が出てきた。領土問題に対して強硬な態度を取ってきた中国の実績を見ると、日中間の戦争は“絶対にない”とは言い切れないのだ。 - 藤田正美の時事日想 バックナンバー
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.