新幹線開業の日、「ひかり2号」が時速210キロを出せたワケ:杉山淳一の時事日想(2/4 ページ)
昭和39年の東海道新幹線開業日、ある秘策で“時速210キロ”を出しながら、なぜか山手線に“追い越された”。鉄道ファンには有名なエピソードについて、当時の運転士がその本当の理由を語った。新幹線愛である。
元新幹線運転士、大いに語る
元運転士の大石和太郎氏は、最近メディアで大人気だ。東海道新幹線開業日の新大阪発東京行「ひかり2号」の運転士を務めた。当時の新幹線運転士は二人乗務で、大石氏の相棒は関亀夫氏。この日、関氏は観客席にいて、大石氏の招きで急きょ登壇した。
この「大石・関コンビ」が運転したひかり2号には有名なエピソードがある。乗客の期待に応えるように、時速210キロメートル運転を想定外の距離で実施した。その結果、東京駅に予定よりも早く着きそうになった。なにしろ開業一番列車である。東京駅にダイヤ通りに到着する必要があった。そこで、東京駅到着前の田町駅付近から徐行運転で時間調整を実施。なんと、あまりの遅さに、となりの線路を走る山手線に追い越されてしまったという話だ。これは鉄道雑学本などでは定番のネタだけど、今回、運転士自身からその一部始終が語られた。「あっちの電車のお客さんが、みんなこっちに手を振ってくれてね」と、当時を懐かしそうに振り返った。
意外なことに、新幹線開業時のダイヤで時速210キロメートル運転は想定されていなかった。最高時速160キロメートルで定刻に運転できるようにと、東京―新大阪間の「ひかり」の所要時間を4時間として設定されていた。なぜなら新幹線は突貫工事で、開業約2カ月前にやっと全線の試運転が可能になった。試運転も十分とはいえないまま開業を迎え、遅延回復運転のみ時速210キロメートルが許される状況だったという。1964年(昭和39年)10月1日の営業運転も、国鉄関係者は内心ハラハラしながら迎えたらしい。
東京発新大阪行「ひかり1号」の運転士二人は実直な人柄で、時速160キロメートル運転を忠実に守った。大石氏いわく「彼らは本当にまじめで、ボクらと違ってちゃんと出世して定年退職したんだよな」。しかし残念ながら、二人とも還暦を過ぎて急逝してしまったという。これで「なぜひかり2号の運転士ばかりメディアに登場し、ひかり1号の運転士が姿を見せないか」という疑問が解けた。下り一番列車の運転士が50周年を共に迎えられず、本当に残念である。
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