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福島原発に近い「国道6号線」が開通――そこで何を目にしたのか:烏賀陽弘道の時事日想(4/6 ページ)
原発事故後、3年半ぶりに「国道6号線」が開通した。除染作業の人員や物資を輸送するために道路部分だけが開通したが、住民が戻らないままのエリアはどんな姿に変わり果てたのか。筆者の烏賀陽氏が現地リポートする。
開閉式の金属ゲート
どこからか「とんとん」という槌音(つちおと)がした。音がする方向に歩いていった。駅前の民家に、建設業者が足場をかけていた。これから屋根や壁の除染をするという。なるほど、住居の除染さえ済まないのだ。それなら住民が戻っていないのは不思議ではない。
国道6号に戻った。取材に行きたいところがあった。浪江町の請戸(うけど)漁港だ。魚市場もある活気のある漁港だったのに、津波でひどく破壊されてしまったという。福島第一原発から北に約6キロである。汚染で、その後の復旧もままらならかっただろう。現在の姿を見ておきたい。
信号交差点を左に曲がろうとして、ブレーキを踏んだ。港に向かう道路が開閉式の金属ゲートでふさがれ、前にガードマンが立っていたからだ。
――漁港に行きたいのですが、行けますか。
「自治体発行の通行許可証はお持ちですかね」
――自治体というと、浪江町ですか。
「いや、南相馬でもいいんですが。それがないと入れませんから」
――取材のために東京から来ました。記者証もあります。
「いや、通行証がないとだめです」
そんな押し問答が続いた。この辺は「相変わらず立ち入り禁止」と「立ち入りしてもいいが住めない」地域が集落ごとに複雑に入り組んでいる。行けないはずはないんだがと思ったが、ガードマンのおじさんは頑なである。仕方なくバックした。
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