福島原発に近い「国道6号線」が開通――そこで何を目にしたのか:烏賀陽弘道の時事日想(5/6 ページ)
原発事故後、3年半ぶりに「国道6号線」が開通した。除染作業の人員や物資を輸送するために道路部分だけが開通したが、住民が戻らないままのエリアはどんな姿に変わり果てたのか。筆者の烏賀陽氏が現地リポートする。
見るな、関心を持つな
国道に戻って気づいた。左右両側の集落に入る道路が、全部開閉式の金属バリケードで塞がれているのだ。警備員が立っているバリケードも多い。それどころか、国道に面した商店や民家の入り口も、ひとつひとつバリケートで封鎖してあるのだ。だから、集落を走り抜けていると、まるでバリケードの街を走っているように思えてくる。その一軒一軒が雑草に埋もれ朽ちていた。
この異様な風景を記録しておかねば。そう思って道路脇にクルマを止めた。カメラを手に国道沿いを歩く。すると、5分も経たずに「福島県警」と書いたパトカーがやってきた。若い制服の警官がつかつかと歩み寄る。
「おたく、何をしているんですか」
――すみません。東京から取材に来た記者です。
「ここは駐停車禁止ですよ」
――ほんの数分で終わりますから。
「すぐにクルマに戻ってください。線量が高いんですから」
――そんなに危険なんですか。
「バイクも自転車も歩行者も禁止です。知らないんですか」
ふと道路の反対側を見ると、防護服でも何でもない、白いヘルメットに花粉症マスクをしているだけの警備員がバリケード前に立っている。警官の言うことと目の前の光景がまったく矛盾して、頭が痛くなってきた。
まあ、いい。こんなところで警官と議論しても意味がない。レンタカーに戻ってエンジンをかけた。
要するに「止まるな」「横道に入るな」ということである。ひたすら国道を駆け抜けろ。原発事故の被害で街が廃墟になっていることなど、見るな。関心を持つな。そう命令されているような気がした。私のような報道記者が見ることができなければ、街の荒廃を読者が知ることもないのだが。
実際、国道を走る車列は、両側の街など関心がないかのように、ごうごうと走り抜けていた。ダンプカー。資材を積んだトラック。作業員をのせたマイクロバス。ワゴン車。どれも「除染」や「復旧」作業の工事に関係がある車両だった。国道を横断するのも難しいほど、車列は途切れなかった。震災直後の、避難で人が消えた街を覚えている私には、別世界のような交通量だった。しばらく国道を南に走ると、1カ所だけ、海岸方向の左に曲がれる道路があるのが見えた。よかった。ここは封鎖されていない。ガードマンもいない。
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