フクシマの被災者たちは忘れられつつある――社会の「忘却」は“残酷”:烏賀陽弘道の時事日想(5/7 ページ)
東日本大震災から4年が経ったが、避難生活を続ける人は、福島県だけでまだ約12万2000人(2014年末)もいる。避難生活を続ける人たちはどうしているのだろうか。筆者の烏賀陽氏は、ある家族の「一時帰宅」に同行した。
神社が「回収ボックス」を設置
玄関を出た。男のざわめく声がした。人がいないはずの地区でなぜ、と思い見ると、除染作業員が10人ほど歩いていた。休憩時間なのだろう。
「庭に椅子があります。どうぞ入ってお休みください」
達筆で書かれた看板が地面にあった。家の前は富岡町名所のサクラ並木である。あと2カ月もすればサクラが咲き始める。かつては家の庭にベンチを置いて、サクラの見物客が自由に休めるようにしてあった。
そのベンチのあった地面に線量計を置くと、するするとデジタル数字が上がって5.73マイクロシーベルトを示した。
帰る間際、西原さんは地区をぐるりとクルマで一周してくれた。誰もいなかった。学習塾、美容院、信用金庫、診療所、四階建ての団地……街中すべてが、枯れた雑草の草原で、眠ったように静まり返っていた。
「匂いもないし色もないでしょう? 見た目はなんにも変わらない。今でも誰か住んでいそうなんだけど、誰もいないのよ」
地元の神社に立ち寄る。大きなごみ箱が置いてあった。近寄ると、マジック書きの紙にはこうあった。
「宗教的物品回収ボックス *透明の袋に入れてから回収ボックスに入れてください」
西原さんたちのように、立入禁止区域から、神棚のご神体を返納する家が多いため、神社が「回収ボックス」を置いたのだ。レンタルビデオの返却ボックスみたいだ。ご神体を入れた西原さんは回収ボックスの前でしばし両手を合わせ「ありがとうございました」と一礼した。
来た時と同じドライブスルー検問を通る。防護服と線量計を回収するのだ。朝と同じブルーの制服の係員が、かがんで私の靴底にガイガーカウンターを当てた。
「はい、200cpm! 天然空間線量と変わりません!」
被ばく線量は、清士さんと私が3マイクロシーベルト。千賀子さんが2。私と清士さんだけ、どこかホットスポットを踏んだようだ。
「お疲れさまでした!」
「ありがとうございました!」
発進するクルマの後でまたファミレスかコンビニの店員のようなあいさつが元気よく唱和された。
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