東京〜大阪間を3分短縮! 新幹線の高速化に挑み続けるJR東海:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/5 ページ)
2015年3月のJRグループダイヤ改正で、東海道新幹線の最高速度は時速285キロメートルに引き上げられ、東京〜新大阪間の所要時間は3分短縮した。たった3分だけど、この数字には大きな意味があるのだ。
東海道新幹線、スピードアップの歴史
東海道新幹線の開業時の速度と所要時間に違和感を覚える人は多いだろう。「最高時速210キロメートル」、「所要時間3時間10分」の方がなじむ。子どものころに見た絵本にもそう書いてあったような気がする。その通りで、東海道新幹線は最高時速210キロメートル、所要時間3時間10分を前提に建設され、この数字が開業まで言いはやされていた。
しかし実際には、最高時速160キロメートル、所要時間4時間で開業している。国鉄上層部が不安を感じて速度を抑制した計画を立てたからだ。上り開業列車の運転士が「それでは時速210キロメートルを期待している人が気の毒だ」と頑張った話は、本連載の前身「時事日想」で紹介した(関連記事)。開業から1年後に国鉄の自主規制は撤廃され、ひかりは計画通り、時速210キロメートル、所要時間3時間10分で走った。この期間は約20年間も続いた。だから「210キロメートル」と「3時間10分」は強く私たちの記憶に刻まれた。
ちなみに、1967年のヒット童謡「はしれちょうとっきゅう」の歌詞は「時速250キロ」だった。新幹線試験車両が時速256キロメートルを達成したからと言われている。作詞は童話「あばれはっちゃく」シリーズの山中恒さんだ。私は、歌詞として「時速250キロ」が7音、「時速210キロ」が6音で、7音のほうが歌いやすかったからだと思う。
1985年のダイヤ改正で、ひかりの所要時間は2分短縮した。新型車両の100系を導入したからだ。100系は営業運転列車で最高時速220キロメートルを出せる。ただし、しばらくは0系と混在するため、営業最高速度は210キロに抑えた。その後、加速性能とブレーキ性能が向上したため、定時性確保に必要なゆとり時間を減らせた。これが時刻表に反映された。
翌1986年には、0系の後期量産車と100系の営業最高速度が時速220キロメートルに引き上げられた。東京〜新大阪間の所要時間が2時間56分になり、ついに3時間の壁を越えた。1年半後の1988年3月には7分短縮された。これは東京発のひかり最終便だ。前方に遅い列車がない時間帯で、新型の100系が充当されたことで実現した。
余談になるけれど、最終便に100系が充当された理由は、前年からJR東海が「シンデレラ・エクスプレス」というキャンペーンを展開し、最終列車が遠距離恋愛の恋人たちに人気があったからだ、と言われている。離れがたい恋人たちの間を、最速列車が遠ざけていたとは皮肉な話だ。
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