Twitterで実現する「開かれた学校」:小寺信良「ケータイの力学」
多くの保護者にとって、学校は非常に閉じられた空間というイメージだが、情報公開という点で面白い取り組みをしている中学校がある。子どもたちの学校での活動状況をTwitterで発信するという方法論を構築、実践している埼玉県越谷市立大袋中学校だ。
前回デジタル教科書教材協議会(DiTT)の設立シンポジウムに出て学んだことの1つは、「結局学校を変えていくのは校長先生次第」ということであった。筆者が代表理事を務めるMIAU(社団法人インターネットユーザー協会)では、昨年から情報リテラシー教育教材を作り、学校の先生方と徐々につながりを持ってきているが、今年は学校のすごい取り組みを取材していこう、というプロジェクトを始めた。
そこで知ったのが、埼玉県越谷市立大袋中学校である。この学校を4月から率いる、大西久雄校長がすごい。学校のイベント情報を始め、部活動の練習風景など、子どもたちの学校での活動状況をTwitterで発信するという方法論を構築、実践している。
筆者も子ども2人を学校にやる立場だが、学校から届けられる情報は、保護者向けに配られるプリントのみに限られる。しかもそれらのほとんどは学校から保護者への依頼案件で、保護者として知りたい子どもの様子などはほとんど分からない。そういう意味では、学校というのはある意味親からすれば、非常に閉じられた空間である。
大袋中学校のTwitterが本格的に活用されたのは、今年6月の修学旅行である。各班に分かれた引率の先生達が分担して、生徒達の様子を写真付きで公式アカウントにツイートして行く。保護者はそれを見て、ああ今日泊まるホテルはこんなのかとか、朝ご飯にはこんなものを食べたのかとか、そういったことが、写真付きでリアルタイムで分かる。また生徒達の様子も、写真付きで投稿されている。
保護者間もこの学校公式Twitterにより、「こないだのあれ見た?」といった具合にコミュニケーションが緊密になり、同時にこれまでネットやICTに興味がなかった保護者に対しても、関心と理解を促す効果も上がってきているという。
従来の考え方で言えば、子どもの写真をネットに載せることはタブーであった。しかし隠そうとするほど、人は興味本位でそれを暴露しようとする。大した情報でなくても、隠していたものを暴いたという行為に、価値を見いだすわけである。
それとは逆に、学校公式として堂々と載せとけばいい、なるべくオープンにしておくことで安全性が確保される、という考え方もあるわけだ。もちろん写真は、生徒個人のアップなど顔が鮮明に分かるものや高解像度のものはなく、そのあたりはさりげない配慮がされている。だがモザイクや目線隠しのような処理は行わず、そのままである。隠そうとするから、怪しく、いやらしく見えるという心理の逆を行くわけである。これを実現するまでには、相当のエネルギーが必要だったことだろう。
学校ならではの工夫
オープンなソーシャルメディアを学校公式として活用するにあたって、大西先生はかなり綿密な研究をされている。公式のツイートはブログパーツによって学校の公式サイトにも掲載されるが、公共性を配慮して学校アカウントからは、保護者をフォローしない。また個別に返信などするとタイムラインに載ってしまうので、それも行なわないといった、運用規定を作っている。他の学校にも参考になると思うので、許可を得て運用規定を転載しておく。
大袋中学校ツイッター運用規定
一.その公共性の高さを考慮し、配信は校長のことばであることの自覚のもとに行なう。判断に迷う場合は、必ず管理職に相談するものとする
一.上記規定に則って、基本的にツイッター配信は大袋中職員が誰でも行なえるものとする
一.大袋中のツイッターは個人へのフォローは基本的に行なわないものとする
一.公式アカウントでは、個人名の記載、またはツイートされたものへの返信は、外部者をタイムラインに入れる事になるので行なわないものとする
一.学校教育効果等の観点から外部者のツイート内容を紹介し、それにコメントする場合は、ツイート内容をコピー&ペーストで紹介する
一.行事等の配信をするときは、ツイートの最後に後の検索に便利なハッシュタグを付ける
一.この他、著作権、肖像権に関わる事項は、ホームページの取り扱いと同様とする
なるほど、学校がソーシャルメディアを利用するにあたっては、通常の利用方法とはちょっと違ったセオリーが必要になるわけだ。だが学校の授業の様子や取り組みがTwitterで逐一配信されるのは、保護者にとってだけでなく、学校側にもメリットが大きい。なぜならば、オープンにさまざまな情報が発信されることから、学校に対する信頼感が増すからである。
一方で写真の掲載には、学校によっては慎重にならざるを得ないところもあるだろう。小学校の場合は特に、親のDV(家庭内暴力)から逃れて遠くの学校に通う子どももいる。顔が分かる写真が掲載されることで、居場所がバレてしまうという懸念もある。
だからただひたすら闇に隠れて何もしない方がいいのだ、ということでは、教育環境として後ろ向きであろう。オープン性を確保しつつ、そのような生徒の事情が確実に教員の間でシェアできる校務システム作りというのもまた、重要になってくるわけである。
小寺信良
映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は津田大介氏とともにさまざまな識者と対談した内容を編集した対話集「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(翔泳社)(amazon.co.jpで購入)。
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