先生が変わる、授業が変わる iPadがもたらす変化:小寺信良「ケータイの力学」
教科書のデジタル化は、さまざまな議論を呼んでいるが、大切なのは学習スタイルとデジタル教材の関係をよく見極め、適切な場所、タイミングで投入することだ。iPadを授業に取り入れた場合の効果を取材した。
2015年のデジタル教科書導入をめざして、いろいろな教育関連機関や企業が動き出している。PCルームの整備、電子黒板の導入など、学校にもどんどん新しい機材が入ってきている。
しかしながら、いまだ先生達自身が納得できるデジタル教材がないのが現状だ。PCも電子黒板も、結局は教材を自分で作れる先生達しか使い切れない。多くの先生達はデジタル教材を自分の授業にどう生かしていくか、プランはいろいろあっても、それを作る時間もなく、教えてくれる人も居ないというのが現状である。
前回の記事でご紹介したTwitterの学校、埼玉県越谷市立大袋中学校の大西久雄校長が主宰となっている勉強会、「でじたま」(デジタル教材 in Saitama)。月に1回文教大学キャンパス内で、デジタル教材の可能性に気づいている先生方が集まり、情報交換やセミナーなどの例会を行なっている。8月26日にこの例会があるというので、取材に行ってきた。
毎回さまざまなテーマが話し合われるそうだが、今回のテーマは、「iPad」。iPadを授業に取り入れた場合の効果について大袋中学校のテストケース紹介、NHKクリエイティブ・ライブラリーの素材活用紹介、文教大学教育学部 今田晃一准教授の講演などをからめながら、集まった教員・教育関係者約30人が実際にiPad 10台を手に取りながら、模擬授業を体験した。
「iPadだから」とか「iPadがあれば」という考え方ではどうにもならないと、大西先生は言う。それに対して先生がどういう教材を作り、どう授業を展開するかがポイントである。
大袋中学校では、文教大学が教育研究用に購入したiPad 10台を借り受け、理科の実験授業を行なった。理科の先生が自分で撮影した動物と植物の細胞の顕微鏡写真をiPadに転送し、生徒達にそれらの写真を自由に拡大・縮小といった操作をさせて、違うところ、同じところを発見させるという内容だ。
正直言って、そんなに大したことをやっているわけではない。しかし、グルーブに1台のiPadの存在、そして誰でも指で触ることができるという体感が、重要なのである。先生達の悩みは、従来の紙ベースの教材では、もはや生徒が授業に対して興味・関心を持ってくれないというところにある。それはそうだ。普段からポータブルゲーム機に親しみ、ケータイでメールする子どもたちにとって、紙の教科書を広げ、黒板の文字をノートに写す授業が、面白いはずがない。ちょっとした変化で興味が湧けば、そこからがスタートだ。
iPadの特性と学習の関係
文教大学教育学部 今田晃一准教授によれば、授業評価の観点から見てICT活用の目的とは、次の4つに分類できる。
- 知識・理解の定着
- 技能習得・学び方の補完
- イメージの拡充
- 相互啓発
従来のPCベースでのICT活用では、上記3つはクリアできるが、4の相互啓発はなかなかできなかった。なぜならば、PCは1人で使うために設計されており、グループに1台あっても、操作するのは正面に座っている1人になってしまうからである。しかしiPadは机の上に平置きして全員がのぞき込めること、誰でも指を伸ばせば触れること、上下左右に簡単に回転できることなどから、誰が主体になるわけでもない、相互啓発しながらのグループ学習における効果が高いという。
一方iPodやiPod touchを使った授業では、個人で何度も繰り返す語学学習などに向いているという結果が出ている。同じようなOSを搭載していても、サイズが変わるだけでできることが変わる。この場のiPadを実際に手にとっての模擬授業でも、先生方自らが3人1組の生徒役となり、iPadを囲みながら同じ問題を解くことで、ごく自然にディスカッションが発生し、新しいアイデアを試したり、理解を助け合うというプロセスを体験した。
そのほかあるワークショップでは、フィールドワークでの学習用としてiPadを持ち出したものの、1つの現場で全員が一斉に参考資料としてYouTubeの動画を参照しようとしたところ、再生できないという問題があったという。クラス全員が集中して大量のトラフィックを発生させても大丈夫なWi-Fi回線を持つ施設は、まだ世の中にはほとんどない。そこはインフラに課題があるわけだが、ないものをねだるよりも、それをカバーする先生方の準備や事前調査が重要になる。
先生達がデジタル教材に期待するのは、分からない→つまらない→できないの無限ループに子どもを落とし入れない牽引力である。単純にiPadが良いということではなく、学習スタイルとデジタル教材の関係をよく見極めて、適切な場所、タイミングで投入する必要がある。すべては先生の「仕掛け次第」なのだ。このような研究は、ようやくまだ始まったばかりである。
小寺信良
映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は津田大介氏とともにさまざまな識者と対談した内容を編集した対話集「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(翔泳社)(amazon.co.jpで購入)。
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